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「名言との対話」 8月15日。加藤弁三郎「この世では何一つとして単独で存在するものはない。明らかに持ちつ、持たれつの、相互依存のものである」

加藤 辨(弁)三郎(かとう べんざぶろう、1899年(明治32年)8月10日 - 1983年(昭和58年))8月15日)は日本の実業家。

島根県出身。京都帝大卒業後、四方合名(現宝酒造)に入社。1937 年協和化学研究所を開設、1949 年協和醗酵工業を創設し社長、1959年会長。ストレプトマイシンの量産に成功し、発酵法によるL-グルタミン酸などを製造。84歳で死去。島根県出身。京都帝大卒。

加藤弁三郎には仏教者という一面があり、1954には在家仏教協会理事長にも就任している。終戦直後、協和発酵の社長に就任したとき、日本中大混乱の中で、何とか従業員を路頭に迷わせないようにしなければならないと、心の安定を求めて仏教を勉強し始める。少し関心のあった浄土真宗の『歎異抄』の教えが骨身にしみて感じられるようになる。

「私は青年の頃、宗教は科学を知らない未開の野蛮な人間の信じるもので、文明が開化し科学隆盛の時代には、何の役にも立たないものだと思っていた。その証拠に、宗教を信じないからといって罰が当たるわけでもないし、宗教などなくても人生をエンジョイすることはできると。しかし今になれば、それは浅はかな考えであったことに気づいている」

「幸運にも親鸞聖人の教え、とくに『歎異抄』に出会って、その魅力にとりつかれた。
そして今では自分自身の生活、あるいは企業経営者としての生き方のバックボーンにさせていただいている」

「仏教に関心のない人でも『歎異抄』を読めば、人間の愚かさに気づき、頭をたれて親鸞聖人の教えの通りに人生を渡るしかないと思えてくる」

「現代はまさに「火宅無常の世界」である。そんな時代だからこそ、私は多くの人に『歎異抄』を読んでもらい、生き方のバックボーンにしてもらいたいと思う」
さて、この歎異とはどういう意味か。親鸞の弟子の唯円が、師の言葉を記した書が『歎異抄』だが、それを正しく理解せずに間違った解釈をする者、つまり異端を嘆くという意味だ。

「歎異抄」は宗派の壁を超えて、多くの人たちに読み継がれている宗教書である。「善人なおもて往生をとぐ、、、」に代表されるように、日本人の宗教観、倫理観とは相いれない表現が多いと言われている。西田幾多郎、司馬遼太郎、吉本隆明、遠藤周作等々、数多くの知識人や文学者たちが深い影響を受けている。そして市井の人々の人生の指針となっている書である。

冒頭に紹介した言葉の後には、「経営者も自己中心的にならないで、つねに相手に対して合掌する気持ちにならなければならない」と続く。こういう心持で企業経営を行ったのである。企業は相互依存の関係の海に浮かんでいるし、社員も、顧客も、同じように不安定な存在である。加藤弁三郎が感謝を込めて、心の中で手を合わせて相手に合掌する姿が目に見えるようだ。『歎異抄』を読むことにしよう。

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