3月25日。 遠藤幸雄「私はその感動で泣いたのです。私の涙は金メダルの涙ではない。自分に勝てた感動で涙をこぼしたのです」

遠藤 幸雄(えんどう・ゆきお、1937年(昭和12年)1月18日 - 2009年(平成21年)3月25日)は、日本の体操競技選手である。

東京教育大学(現筑波大学)を卒業。体操選手として、ローマ、東京、メキシコと3大会の出場を果たした。東京では日本人初の個人総合優勝を獲得した。目標としていた郷里秋田の6年先輩で「鬼に金棒、小野に鉄棒」といわれた名選手小野喬でも成し遂げられなかった快挙だった。「体操ニッポン」の黄金時代を築く。遠藤は3度のオリンピックで金5個、銀2個をもらった。引退後は2007年まで日本大学教授をつとめる。日本体操協会では副会長、JOC理事。1999年、国際体操殿堂入りを果たす。

遠藤はオリジナルの技「前方開脚浮き腰回転倒立」を考案した。「エンドー」と呼ばれ、技に個人名がついた。東京オリンピックの個人総合で圧倒的優位に立っていた遠藤は、最後のあん馬でミスを連発してしまう。9点台が出れば金メダルだったのだが、長い審議の末に9・10で優勝する。別室で遠藤は死別した母に「ボクに9点台をください」と祈っていたそうである。

この個人総合優勝の金メダルをもらった時に泣いたうれし涙は、小学校3年生の時に母親を亡くし、父とも生き別れになり、中学1年の冬から養護施設で育ち、体操と出会って努力を重ね、自分に勝てたという感動だったのだ。村田英雄の名曲「姿三四郎」の歌詞「人に勝つより自分に勝てといわれた言葉が胸にしむ」がある。誰に言われたか。遠藤の出身校である東京教育大学の前身の東京高等師範学校の加納治五郎校長だろう。まさに遠藤幸雄は加納の教えのとおり「人に勝つより自分に勝った」のである。遠藤は自分を育ててくれた養護施設への寄付を生涯続けていた。

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