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6月26日。ハワード・ベーカー「大統領閣下、日米関係は今、最良だと思います。しかし、同時に高度な維持作業(High Maintenance Opereation)が欠かせません」

ハワード・ヘンリー・ベーカー・ジュニア(Howard Henry Baker Jr., 1925年11月15日- 2014年6月26日)はアメリカ合衆国の政治家。

アメリカ連邦上院議員(テネシー州選出、1967年 - 1985年)。上院で少数党院内総務(1977年-1981年)、多数党院内総務(1981年 - 1985年)を務める。その後レーガン政権で大統領首席補佐官(1987年 - 1989年)。ジョージ・W・ブッシュ政権で駐日大使(2001年 - 2005年)。

ベーカーと言えば、湾岸戦争時の国務長官というイメージが私には浮かぶが、ここで紹介するのは父ブッシュのもとで国務長官などの顕職をつとめたジェームズ・ベーカーではなく、息子のハワード・ベーカーだ。息子は議会人として常に国益を重視し、必要ならば「超党派の精神」に則って行動することを信念としていた。ウオーターゲート事件では同じ共和党のニクソンを厳しく追及し、党利党略ではなく、「超党派」の信念を貫き、「偉大な調整役」とも呼ばれた。

何度も大統領候補として話題にのぼったが、ベーカーは優れた院内総務として重きをなした。院内総務、特に多数派院内総務は、議会の実質的なリーダーである。57歳で上院議員を引退するとき、レーガン大統領は声明の中で「今世紀において最も洗練され、かつ熟達した院内総務」と高い評価を与えた。

多数派の院内総務として成功する秘訣は、以下のようなものであった。「院内総務という地位にも限界はある。異なる意見にも十分な経緯を払うべし。できるだけ多くの議員とできるだけ多くの物事を議論すべし。上院議員といえども、家族を持つ人間である。よいスタッフを選ぶべし。話し上手よりも聞き上手たれ。票読みは慎重、かつ頻繁に。誰が大統領であれ、必要な時はいつでも協力せよ。下院議員とも協力すること。少数派のリーダーを驚かせるな。いかなる時も真実を語れ。忍耐強くあれ。他の人にも同様の行動を奨励せよ」。

75歳、ブッシュ大統領から懇請されて駐日大使となった。2001年から2005年の時期は、同時テロ、イラク戦争、北朝鮮、BSE(牛海綿状脳症)、沖縄など問題が山積だった。この間の小泉政権の福田官房長官との接触は80回以上にのぼっている。ベーカーは、「日米関係は世界で最も重要な二国間関係」といった、11年以上にわたってつとめたマンスフィールド駐日大使の言葉の信奉者だった。ベーカーは、レーガン・中曽根、ブッシュ・小泉のコンビは、双方が対等、かつ慎重に扱うようにこころがけていたと観察している。

高度な維持作業(High Maintenance Opereation)とは、経済、軍事、ビジネスなどあらゆる面で、配慮が行き届いた互いの日常的メンテナンスによって関係はかろうじて保たれるという意味だろう。人間関係も同じだが、立体的、多面的なコミュニケーションがか欠かせない。国家関係においては、さらにそれが高度になる。

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