「名言との対話」10月4日。高田賢三「冒険心が私の人生と創造の原動力」
高田 賢三(たかだ けんぞう、1939年(昭和14年)2月27日 - 2020年(令和2年)10月4日)は、日本のファッションデザイナー。享年81。
兵庫県出身。神戸外大中退、文化服装学院卒。三愛勤務をへて、1965年パリにわたり、キスタイル会社で修業後、1970年にパリで店をだす。和服をはじめ世界各地の民族衣装からヒントをえた独特な服をパリから発表しつづけ、国際的にたかい評価をえる。1999年に後進にブランドをゆずる。2004年のアテネ五輪日本選手団公式ユニフォームをデザインした。2020年10月4日、新型コロナ感染症による合併症でパリ郊外で逝去。
以上が高田賢三、「ケンゾー」の略歴である。
2024年に訪問した東京アートギャラリーの「高田賢三」展で入手した『TAKADA KENZO』から「木綿の詩人」「色彩の魔術師」と言われたケンゾーの言葉を拾ってみた。
僕にとってクリエイションとは喜びと幸せ、何より好きなように動きくつろいで生きる自由、そしてまた皆さんに自分自身でいられる自由を贈ることでもあります。
ファッションはライフスタイルの一大要素。夢であり、生きる上でもビタミン剤です。美しい服を着て、あるいは着た人を見て心が豊かになる。最終的には平和に貢献するのかな。
オーソドックスなラインを踏襲した上で、従来のしきたりを無視してかかることにしている。
冒険心が私の人生と創造の原動力。
パリの高田の旧宅のリノベーションをやった建築家の隈研吾は、学生時代から高田賢三と山本寛斎の自由さに憧れていたとし、「自分も、建築を通じて、彼ら(ケンゾーやカンサイ)の自由を引き継ぎ、未来に伝えたいと思う」と「高田賢三展によせて」で語っている。ファッションと建築という世界は違うが、彼らは束縛を嫌い、禁欲から脱して、「自由」をテーマとしてそれぞれの分野で革命を起こしたのだ。
高田賢三はデザイナー30周年、そして60歳を区切りに「KENZO」ブランドから退いて、新しい挑戦を始めている。また70歳を機にパリの自邸と美術コレクションを売却し、再出発を宣言。その後10年たって、81歳で死去している。
高田賢三は、「冒険心が私の人生と創造の原動力」と語ったように、常に冒険心をもって、新しいジャンルで創造的な仕事をしてた。人生戦略を持っていた人であった。
参考
図録「高田賢三展」
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