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「名言との対話」8月20日。甘粕正彦「大ばくち もとも子もなく すってんてん」

甘粕 正彦(あまかす まさひこ、1891年明治24年〉1月26日 - 1945年昭和20年〉8月20日)は、日本軍人(陸軍)。享年54。

仙台市出身。1923年東京麹町憲兵分隊長で憲兵大尉のとき、関東大震災の混乱に乗じて無政府主義者大杉栄伊藤野枝らを絞殺した甘粕事件で知られる。軍法会議で懲役10年の判決を受けるが、恩赦により短期で出所し、フランスに渡る。1年5カ月の生活だった。

1929年帰国し、中国東北部へ渡り、関東軍に協力して満州事変などを画策し、「満州国」の建国に関与した。満州国協和会中央本部総務部長、満州映画協会(満映)理事長などを歴任した。敗戦後に服毒自決した。

「甘粕大尉」の名は、李香蘭こと山口淑子や、アナキスト伊藤野枝のことを調べる中で、わずかに知ってはいたが、今回、角田房子『甘粕大尉 増補改訂』(ちくま文庫)を読んで、その鮮烈な生涯の全貌を知った。この本のオビには「日本陸軍の暗部を生きた男」との文言がある。膨大な資料と克明な証言で甘粕正彦の実像に迫った労作である。

残忍な人殺し、思いやりの深い人情家、右翼の大立者、帝国主義者、豪放磊落、神経質なふさぎ屋、快活なユーモリスト、わがままで癇癪持ちのワンマン、典型的な能吏、有能俊敏の事業家、細心な事務屋、国際的な謀略家、ハッタリ屋、スタンド・プレイの名優、芸術愛好家、キザなスタイリスト、、。この矛盾に満ちた謎の人物の実像はいかなるものなのかに迫りたい。

甘粕正彦の言葉。

「生き甲斐は、民族の長たり、政治の首長たる皇室、皇室の有たる日本国に、凡てを空しゅうして仕ふること、、」「人間には運命がある。それから逃げることはできない。運命に従って、まじめにやることが一番大切だ」「人間は死ぬ時期と場所とが大切だ」「大ばくち もとも子もなく すってんてん」

外から見た甘粕。

「法廷で部下をかばうため、すべての罪を一身に引き受けた」(甘粕三郎)。「彼の言行力の旺盛なる、かつ勇敢なるは感服に値す」(橋本欣五郎)。「金の使いぶりのきれいだったのは、甘粕と河本大作の二人だった」(澄田四郎)。「全く、私心というもののない人だった」「筋の通った立派な男だった。それに、ものわかりがよく、人情豊かで、部下のめんどうも実によくみてくれた」(三原朝雄)。「甘粕は右か左かにこだわらず、その人間を見た」(古海忠之)。「あれだけの人物はなかなかいない」「人が手を出さない、いやなことを敢然とやった」(川喜多長政)。「本当はよく気のつく、やさしい人だった」(山口淑子)。「私利私欲を思わず、そのうえ生命に対する執着もなかった」(武藤富男)。「一つの国を立派に育て上げようという大きな夢に酔った人だった」(森繁久彌)。

甘粕の言葉では、「大ばくち もとも子もなく すってんてん」を採った。敗戦から3日後に満映の理事長室の黒板に自筆で書いていた言葉を飯島満治が見ている。満州国の建国自体が日本の大きなバクチであり、そこに身を投じた自分の人生もバクチであったという感慨であろう。

今後も甘粕正彦という謎の人物をめぐる証言を目にするだろう。じわじわとその実像を深めていきたい。

甘粕大尉 ――増補改訂 (ちくま文庫)

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