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「名言との対話」5月31日。杉本苑子「歴史の中で声もなく、うずもれた人たちの声が無数にある。その声が耳にそこに鳴ってくる」

杉本 苑子(すぎもと そのこ、1925年6月26日 - 2017年5月31日)は、日本の小説家、歴史小説家。

文化学院卒。1952年に「燐の譜」で『サンデー毎日』の懸賞小説に入選した時の選考委員であった吉川英治に師事し、門下生として10年修行した後に、1963年「孤愁の岸」で直木賞。古代から近代までを題材としたおおくの歴史小説を発表。1978年「滝沢馬琴」で吉川英治文学賞、1986年「穢土荘厳」で女流文学賞。1995年文化功労者。2002年文化勲章。作品はほかに「玉川兄弟」「埋(うず)み火」などがある。「マダム貞奴」「冥府回廊」は85年のNHK大河ドラマ春の波濤」の原作となった。

杉本苑子が住んだ熱海は東京とは気温が3度違い過ごしやすい、海と山に囲まれて自然が素晴らしい、東京との距離が近い、という条件が揃っており、昔から文人、政治家、軍人などが住んできた場所である。澤田政廣記念美術館、中山晋平記念館、佐々木信綱「凌寒荘」、そして2005年に訪ねた杉本苑子旧宅「彩苑」がある。別荘として建て、その後ここに15年間住み、後に熱海市内の新居に住んだ。いずれ杉本苑子はこの旧宅を記念館とするつもりだった。現在、熱海市が借り受けて熱海にゆかりのある,文化人の人々の紹介と作品展示をしている。

文藝春秋特別版2006年8月臨時増刊号に「代表的日本人100人を選ぶ」という特別企画がある。1908年の内村鑑三「代表的日本人」に範をとったものだが、そこでは「わが国民の長所を外の世界に知らせる」ために、西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮の5人をあげていた。百年後の今回は、選者は杉本苑子藤原正彦半藤一利松本健一の4人。日本人が理想とする人間像、美しき生き方を示すことが目的である。9つのジャンルの中で選ばれた100人が紹介されている。こういう人たちの足跡を訪ねてみたいと思ったことがある。

2006年に宮城県松島の藤田恭平美術館を訪問したとき、81歳で文化勲章を受章したときの写真があった。国際経済学者の小宮隆太郎、映画の進藤兼人、航空宇宙工学の近藤次郎、質量分析学の田中耕一らと並んで小説の杉本苑子がいた。各地の記念館で文化勲章受賞時の記念写真を見ることが多いが、同時代の各界の逸材を横並びに見ることができて、いつも興味深く見ている。

2016年に杉本苑子「万葉の妻たち娘たち」というタイトルの講演を収録したオーディブルの講演を聴いた。文藝春秋社の文化講演会での講演録で1時間弱の中身の濃い講演だ。天皇・貴族・庶民・奴隷まで、あらゆる層の人々が本音を吐露する万葉集の歌は現代人の胸を打つ。杉本はその中で万葉時代の女性について語っている。女性の地位の高さを語ったところが印象に残っている。

「憂いはひとときうれしきも思い醒ませば夢候よ」は、室町時代後期の歌謡集「閑吟集」の中の一節で、杉本苑子が好んだ。人生の辛さも、嬉しいことも、ほんの一時のことだ。そういう思いが醒めてみれば、夢のようだ。歴史に題材をとって、そこに生きた人々の人生の盛衰と喜怒哀楽を描いた杉本苑子の人生観がこれに極まったのであろう。

NHKアーカイブスの映像をみた。昭和18年の学徒出陣の壮行会の場にいたという。「この巨大な消耗、巨大な損失、巨大な犠牲を払いながら、何を得たのか。家を焼かれ、肉親を原爆の一瞬で地獄に落とされ殺される。そういった大きな犠牲を払った事、これを足掛かりに再出発する」それが歴史小説を書く根底にある。「歴史の中で声もなく、うずもれた人たちの声が無数にある。その声が耳にそこに鳴ってくる」と結んでいた。

戦後をつくってきた日本人はそれぞれ同じような気持ちで、祖国の復興と生活の再建に向かったのだろう。


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