「名言との対話」2月25日。ジョン・フォスター・ダレス「成功の程度を測る尺度は、どんなむずかしい問題を解決したかではない。去年と同じ問題が今年もまた持ち上がっていないかどうかである」

ジョン・フォスター・ダレス(1888年2月25日-1959年5月24日)は、アメリカ合衆国の政治家。日米安保条約の生みの親とされる。1952年から1959年までアイゼンハワー大統領の下で国務長官をつとめた。

「他のアジアの国々に対して日本人が、しばしば持っていた優越感と、西側陣営の「エリート・アングロサクソン・クラブ」に入る、という憧れを満たすことで、日本人のアメリカやイギリスなど西側陣営に対する忠誠をつなぎ止めさせるべきだ。日本を再軍備させ、自分たち西側陣営に組み入れるということと、一方、日本人を信頼し切れないというジレンマを日米安全保障同盟、それは永続的に軍事的に日本をアメリカに従属させるというものを構築することで解決した」と述べていると、ジョン・ダワーはその著「容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別」で書いている。「永続敗戦論」の源がここにある。

2017年にNHKラジオアーカイブ「声でつづる昭和人物史」を聴いた。昭和史を専門とする保阪正康の解説で、吉田茂、浜口雄幸、犬養毅の肉声を聴いた。吉田茂「大磯に吉田さんを訪ねて」「(サンフランシスコ)講和条約から10年」は、1962年頃の大磯の吉田邸での前田義徳専務(後の会長)インタビューだ。マッカーサーと共同で再軍備を主張するダレスに対抗したこと、自立自尊でなければ国は保たないこと。吉田は60年安保条約についてはノーコメントだった。

矢部宏治『戦争をしない国--明仁天皇メッセージ』、孫崎亨『戦後史の正体』では、それを証明するダレスの言葉が紹介されている。ダレス「米国が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保する。それが米国の目標である」。「あらゆる軍事力を放棄した憲法9条2項」(マッカーサー)と「日本から自由に出撃し戦争をする在日米軍」(ダレス)という巨大な矛盾。、、、、、ダレス国務長官は、「公正な関係を築けなければ全アジアからアメリカは放逐されるだろう」という危機感はもってはいたようだ。

日本の外務大臣以上の権限を持ち、大統領にことがあったときの副大統領、上下両院議長の次に位置する国務長官職のの兄と5歳年下でアイゼンハワー、ケネディ政権でCIA長官をつとめた弟という秀才兄弟は、表と裏で、第二次大戦後の世界を強権で制圧した。二人の根底には、「アメリカは特別な国さ」という信念と「永遠の真実」を信じる宣教師的信条があった。徹底した善悪二元論と国益を追求するアメリカの行動原理の推進者であった。

歴史のなかで賛否両論の評価はあるが、ダレスは稀にみる仕事師であったことは間違いない。冒頭の言葉には、ダレスの仕事ぶりの真髄が垣間見える。難問の解決で喝采を浴びるのではなく、眼前にあらわれる問題に対応し解いて、1年後にまた同じ問題が登場しないように、踏み固めていくのが組織の進歩を意味するのだ。その場しのぎの緊急対応でしのぐのではなく、できるだけ長く持ちこたえる解決策、抜本策を考えて処理をすることが大事なことなのだ。この言葉には深く納得する。

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