9月15日。 渡辺美智雄「上を見て働け、下を見て暮らせ」
渡辺 美智雄(渡邉、わたなべ みちお、1923年(大正12年)7月28日 - 1995年(平成7年)9月15日)は、日本の政治家。
自民党政務調査会長。厚生相、農水相、蔵相、通産相、副総理兼外相と閣僚を歴任。中曽根派を継承して派閥の領袖として活動。
栃木弁丸出しの歯に衣着せぬ話術でマスコミにも積極的に登場し茶の間の人気を得た。一方で、失言も多く、度々舌禍事件を起こした。総理への道をあきらめきれないまま、1995年9月15日、膵臓癌のため死去した。まだ72歳だった。栃木県大田原高校で同級だった、私の叔父から「ワタナベ」のことはよく聞いていた。薬剤師だった叔父は、渡辺美智雄が厚生大臣になったのを喜んでいた記憶がある。ミッチー節は面白かった。
渡辺美智雄の失言は直接的で品の問題がありここでは紹介できないが、以下、参考になる名言を拾ってみる。
・ 思い切って決断すると、意外と道は開ける。
・直感・実感・大局観。どれかひとつだけではダメ。
・政策に上下なし、酒席に上下あり。
・悪名は無名に勝る。
・温故知新というのは、、、「先祖の知恵の中にいまの答えがある」ということ。
・水清ければ魚棲まず、外来種も大いに歓迎するがピラニアは許さない。
政治家と病気には物語が多い。安倍晋太郎も健康問題で総理になれなかった。「安竹宮渡」と呼ばれたニューリーダーの一角を占めた渡辺美智雄もそうだ。ポスト竹下を目指したが、リクルート事件で逼塞を余儀なくされ、宇野宗佑に総理の座を奪われた。中曽根がオーナーの派閥会長になったが、膵臓癌の手術を受け健康に不安があった。1991年の自民党裁選では宮澤喜一に継次ぐ次点で副総理、1993年の再出馬では河野洋平に敗れた。1994年には細川内閣退陣の際に新生党の小沢一郎から離党を条件に総理を打診されるが失敗している。1995年の総裁選では同期の橋本龍太郎を支持した。病気のためのあせりもあったのだろう、トップに後一歩届かなかったのは無念だったろう。
「上を見て働け、下を見て暮らせ」は、自民党から離党して「みんなの党」をつくった息子の渡辺喜美に語った言葉だそうだ。これは心したい名言だ。