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1月26日。真藤恒「習って覚えて真似して捨てる」

真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003年1月26日)は、日本の実業家。

九州大学工学部造船学科卒。播磨造船に入社。戦後アメリカ系のNBC造船所で真藤船型を生む。石川島播磨誕生に際して土光社長に呼び戻され、後に社長。1981年電電公社総裁。1985年民営化にともない新生NTT社長、1988年会長。

真藤の人生は偶然の連続で構成されている。大学の学科選択も、教授の意向での播磨造船への入社も、そして結婚も。真藤は退職金を7回もらっているが、上司であった土光敏夫さんに「行け」と言われるままに仕事を引き受けた。その結果が、進藤のキャリアになった。

「論語」は人間の自主性を認めていないから嫌いで『伝習録』を読むなど「知行合一」を説く陽明学に学び、「ドクター合理化」と呼ばれた希代の仕事師は、電電公社・NTTでは「シントーイズム」を浸透させた。真藤は実学の人である。

『習って覚えて真似して捨てる』と言う自伝を読むと、経験の裏づけのある魅力的な言葉が満載だ。以下、真藤語録。

・能力ある人は必ず引っ張りダコになる。人にも組織にもいえる。それが競争力である。

・ヘリコプターに乗れば尾根の道、つまり道筋はすぐわかる。

・仕事を楽しんでやれる境地になって初めて仕事師といえる。

・トップの発言内容を部下に伝えるときは、自分の立場で十分に消化し、自分が責任を持って組織を動かすという態度をとることだ。

・俺も一緒にやる。自分の代わりにやってもらう。

・人間はいつもリスクを賭け、それを乗り越えるところに楽しみがある。こわいのは肉体て老化ではなく頭の老化だ。

・経営とは現状を変えることであり、現状を守るのは経営ではない。

・自分の仕事は自分で作っていくしかない。

・メモリー機能よりデータ処理機能。他の事柄との関連を考えよ。

・現象より根元。

・足らざるところを学ぶという姿勢がいい。

・科学技術をベースにした生産技術が、人間社会を根本からゆさぶる。情報は上部構造であり、社会構造を根底からひっくり返す力はない。

真藤は最後はリクルート事件で非公開株1万株の譲渡を受け、1990年に有罪判決を受ける。一切弁明せず、公職や経営の一線から身を引いている。出処進退も潔い。真藤の例を引くまでもなく、キャリアを全うすることはなかなか難しいものである。

真藤は「脚下照顧」という禅の言葉を意識していた。生活面では日々新たに取り組む。仕事面では自分で悪い点を改良していく。それは日々自己批判の連続で過ごすことである。「習って覚えて真似して捨てる」の「捨てる」とは、「習って覚えて真似して」仕事に真正面から取り組んでいると、結果的に習ったことを捨てていたという意味である。その連続がキャリアを磨くことである。この精神を学ぼう。

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