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「名言との対話」 10月16日。加藤和彦「同じことは二度とやらない」

加藤 和彦 (かとう かずひこ、1947年3月21日 - 2009年10月16日)は、日本の音楽家。

作曲、編曲、音楽プロデュース、撥弦楽器や鍵盤楽器などの演奏・歌唱を通じて、制作者・実演家として活動したミュージシャン。

加藤は北山修をはじめとする大学生仲間たちとザ・フォーク・クルセダーズを結成し、アルバム「おらは死んじまっただ」「天国いいとこ一度はおいで""酒はうまいしねえちゃんはきれいだ」という破天荒な詩から始まる「帰って来たヨッパライ」は、280万枚を売りあげ、史上初のミリオンセラーとなった。翌年には日本レコード大賞特別賞を受賞。

1968年末にフォーククルセダーズを解散して、加藤は1972年までアメリカ、イギリスで暮らした。

1970年代初頭から中盤にかけてロックバンドサディスティック・ミカ・バンドを結成し、1970年代の日本のミュージックシーンをリードした。

1977年、38歳のときに8歳年上の作詞家の安井かずみと再婚し、1990年代初頭まで「作詞・安井かずみ/作曲・加藤和彦」のコンビで、通称『ヨーロッパ三部作』などのソロ作品の他、数々の作品を他のミュージシャンに提供した。

1980年代から映画・舞台音楽、1990年代後半からは市川猿之助のスーパー歌舞伎の音楽など、ポップミュージックの垣根を越えた様々なジャンルの音楽も幅広く手掛けた。「自分以上でも、自分以下でもない音楽」を作ることが信条だった。

「アーティストというのはそういう人と違ったことをしてるから、何かしら生み出せるんじゃないかな」

「僕もこうなりたくてやってるわけじゃなくて、ちびちびやってたらこうなっちゃったっていう。根本的に20歳ぐらいのときから変わってないからね(笑)。規模がちょっと拡大したぐらいなもんでね」

吉田拓郎は、「加藤の才能は日本では唯一無二なもので、10人の歌手の10通りの歌へのアドバイスが即座にできる」と語っている。それは彼がプロデュースした以下の人々の名前をあげるだけでわかろうというものだ。ずいぶんと多くの曲を聴いていたのだと私も改めて感じるラインナップだ。

トワ・エモア、伊藤ゆかり。ザ・ゴールデン・カップス。萩原健一。森山良子。由紀さおり。小柳ルミ子。かまやつひろし。城みちる。鰐淵春子。高田みずえ。大原麗子。竹内まりや、ザ・ベンチャーズ。岡崎友紀。泉谷しげる。岩崎良美。多岐川裕美。樋口可南子。増田恵子。梓みちよ。柏原芳恵。吉田拓郎。アグネス・チャン。薬師丸ひろ子。原田知世。田原俊彦。沢口靖子。神田正輝。中井貴一。稲垣潤一。少年隊。西村知美。加山雄三。桐島かれん。西田ひかる。市川猿之助。、、、、、、

晩年は鬱病となり、自死する。享年62。遺書には「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい」。「私のやってきた音楽なんてちっぽけなものだった。世の中は音楽なんて必要としていないし」とあった。

作詞家であり、後に精神科医となった北山修は、加藤の自死について「後ろを向いたら負けである、という生き方。自分の物語を語ろうとしない。前に倒れるしかない。決して同じことをやろうとしない」と分析している。

「同じことは二度とやらない」とはアーチストらしい厳しい生き方だ。仲間の北山修が作詞し端田宣彦が歌った名曲『風』(1969年2月)にあるように「ただふり返っても そこにはただ風が吹いているだけ」という心象風景だろうか。加藤和彦という希代のアーチストは変化を追い続けた。そして脱皮ができなくなったとき、この世から消えたのだ。

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