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5月3日。長田弘「みえてはいるが誰れもみていないものをみえるようにするのが、詩だ」

長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 - 2015年5月3日)は、日本の詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。

早稲田大在学中の1960年、詩誌「鳥」を創刊。雑誌「現代詩」「詩と批評」「第七次早稲田文学」の編集に加わる。1965年に詩集『われら新鮮な旅人』でデビュー。以来詩人として活躍する。代表作は児童向けのロングセラーとなった散文詩集『深呼吸の必要』。

詩と詩人について。「みえてはいるが誰れもみていないものをみえるようにするのが、詩だ」「墓碑銘を記し、死者を悼むことは、ふるくから世界のどこでだろうと、詩人の仕事の一つだった」「描かれていない色を見るんだ。聴こえない音楽を聴くんだ。語られない言葉を読むんだ」「たのしむとは沈黙に聴きいることだ。木々のうえの日の光り。鳥の影。花のまわりの正午の静けさ」

読書について。「本を読もう。もっと本を読もう。もっともっと本を読もう」「ゆっくりとした時間をとりもどす、それが読書の原点なんです。たとえば、再読のたのしみ」(「梅棹忠夫著作集」を毎日少しづつ読んでいる。良書を読む、再読するたのしみ。)

時間について。「瞬間でもない、永劫でもない、過去でもない、一日がひとの人生をきざむもっとも大切な時の単位だ」(今日も生涯の一日なり)

大人について。「ふと気がつくと、いつしかもう、あまり「なぜ」という言葉を口にしなくなっている。そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、ひとりの子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ」「『なぜ』と元気にかんがえるかわりに、『そうなっているんだ』という退屈なこたえで、どんな疑問もあっさり打ち消してしまうようになったとき。・・・そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子どもじゃなくて、一人のおとなになっていたんだ。(「なぜ」、と考えることが少なくなった。好奇心をふるいおこそう)

小野二郎の資料を読んでいるうちに、10歳若い長田弘という名前が出てくる。新日本文学編集部にいた津野梅太郎に続き、津野の友人の長田が美術出版社から晶文社の編集部に入る。そして、晶文社の編集体制が確立する。人は人を呼ぶ。

みえてはいるがみえていないものを見えるように言葉であらわすのが、詩人である。論理ではなく、全体と本質をわしづかみにする直観を言葉に載せることができるのが詩人だろう。風はみえない、しかし存在する。その風に色をまとわせて見えるようにするのが詩人だろうか。

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