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4月25日。 田端義夫「奇跡じゃない。執念だ」

田端 義夫(たばた よしお、1919年(大正8年)1月1日 - 2013年(平成25年)4月25日)は、日本の歌手、ギタリスト。

高等小学校を中退。12歳から鉄工所で働く。トラホームにかかかり、16歳ころには右目がみえなくなった。薬屋、菓子屋、鉄工所などで働き、19歳で吉本興業主催の「アマチュアコンクール」で優勝し、状況。ポリドールのテストに合格。20歳、デビュー曲「島の船唄」が大ヒット。

戦後、復員兵士が涙を流して聴き入っているのを見て、「ああ、私の歌で涙を流す人がいる。歌手をやっていて良かったな、生きていて良かったんだな」と思った。44歳では「赤い蘇鉄の実も熟れる頃 加奈も年ごろ 加奈も年ごろ 大島育ち」で始る「島育ち」が大ヒット。

1970年、59歳で「私があなたにほれたのはちょうど十九の春でした」から始まる「十九の春」で、レコード大賞・特別賞を受賞し、「バタヤン、奇跡のカムバック!」と報じた。本人は、「奇跡じゃない。執念だ」と心の中で叫ぶ。「歌手と歌との巡り会い。果報は寝て待っていてはこない。明日に燃えてる執念が名曲との出会いにつながるのだ」という。「心を込めて、新しい曲を仕上げる。詞、曲、歌手が、バッチリそろったものが大ヒットする」のであり、執念深く、歌を追い求めた結果なのだ。

「同じキーで歌えなくなったら歌手は辞める」という強い信念から、生涯すべてキーを下げず歌った。1日1時間の発声練習は欠かさず行い、タバコは一切吸わなかった。「新曲を出し続けることが、現役歌手の証し」と考え、「90歳までは歌う」と公言していた。1991年の72歳の時の出版自伝『オース! オース! オース! バタヤンの人生航路』を読んだ。それから20年近い歳月を経て、2009年の元旦(田端の満90歳の誕生日)に歌手生活70周年を兼ねた記念アルバムを発売しており、公約を守っている。

「十九の春」をユーチューブで聴いてみたが、2オクターブを行き来できる、味のある丁寧な歌い方で心に響く。田端自身の19歳は、丸刈りのまま歌手を目指して上京。夢と希望に燃えながら、ポリドールレコードの吹き込み所でオーディションを受けていた。4回結婚し3度離婚し、最後は親子ほど年の違う妻を迎えているほどの発展家だったが、歌についていえば、田端義夫自身はもとの十九に戻してもらう必要はなかったようだ。

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