6月25日。菅原道真「東風吹かばにほひおこせよ梅の花、主なしとて春を忘れそ」

菅原道真(すがわら の みちざね 、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。

道真は若い時、歌を作っても散り散りになてしまうので、学生たちと語らって折箱をあつらえて保管したという工夫もしている。学才をもって知られ、宇多天皇に寵愛され、そして醍醐天皇によって藤原氏を牽制するため右大臣とされる、左大臣藤原時平に讒訴され、太宰府へ左遷されつ。名ばかりの役職で給与も支給されず太宰府本庁にも入れなかった。そしてその地で没した。死後、京に天変地異が多く、道真の祟りとされて、天満天神として信仰の対象となった。後に災害の記憶の風化とともに学問の神様として信仰されるようになった。以下、無実を訴える名歌から。

海ならずたたえる水の底までも清き心は月ぞ照らさん

ゆされば野にも山にもたつけぶりなげきよりこそもえまさりけり

人形浄瑠璃や歌舞伎で上演された『菅原伝授手習鑑』。菅原とは、平安時代の学者で政治家でもあった菅丞相・菅原道真のこと。丞相は政治的なライバル・藤原時平の讒言により筑紫国に流罪となることを下地とした物語で大当たりとなった。7歳で失明した戸時代の塙保己一は36歳から41年かけて「群書類従」670冊(25部門)を刊行下人物だが、菅原道真を自身の守護神としていた。このように道真の悲痛な物語と学才の確かさは後々まで語り継がれている。

菅原道真の上昇と下降の波乱の人生は人々の同情をかった。同情を集める吸引力は「歌」であった。この31文字の歌という器にはあらゆるものを入れることができる。歌は短いからこそ人々の心の奥に手裏剣のように届くのだ。


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