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12月14日。東松照明「写真家は見ることがすべてだ」

東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日 - 2012年12月14日)は、愛知県名古屋市出身の写真家。戦後日本を代表する写真家。

学徒動員世代だ。24歳、写真部で学んだ愛知大学を卒業。28歳で第1回日本写真批評家協会新人賞。それ以降、個展や写真集など、精力的に作品を発表していく。65歳、紫綬褒章。

報道写真の名取洋之助とリアリズム写真の土門拳という相反する両極の方法を受け継ぎ、つなぎ、発展させ、「日本の戦後史」を写真によって表現すること、それをほぼ一人で成し遂げた。時代とその集積である歴史に、写真という武器で勇敢に立ち向かった。絵に追従する一点写真、何枚か組み合わせてストーリーを語らせる組写真を卒業し、「群写真」を発明した。「写真は一点ではなく群である」。撮影しているのは映体ではなく、長崎、沖縄というテーマなのだ。

東松のやり方は、出版や展示があるたびに、個々の写真の意味や位置は「編集」され、更新されていく。テーマが誕生すると、全ての写真をリミックスして新たなイメージとして展開していく。この編集という行為は、一つの思想行為であり、東松の写真は「思想写真」といってもいい。モノクロはアメリカが見え隠れしているから、カラーになるとアメリカから離れられるという。白黒とカラーの変化も思想になっている。

1973年5月臨時増刊『現代思想』の「東松証明」総特集号を読んで、二つの特色を感じた。それは「移住と曼荼羅」だ。1973年、43歳で宮古島に移住。1999年、67歳で長崎に移住。2010年、80歳で沖縄に移住。沖縄で82歳で死去。「沖縄」は、日本人シリーズと占領シリーズが交わる交点だった。亡くなる前年に「写真家・東松照明全仕事」展を故郷の名古屋市美術館で開催して人生のつじつまを合わせている。人生の編集もできていいる。

私がもう一つ注目したのは曼荼羅シリーズだ。1999年の長崎マンダラ展。2002年の沖縄マンダラ展。2006年の愛知曼荼羅展。テーマを中心に、新旧全ての写真を再配置し、一つの世界を創造する。この群写真という曼荼羅、これも編集である。

総特集号を読んでいるうちに、「サラーム・アレイコム」から「泥の王国へ」の巡回展の収益1100万円は、全部ペシャワール会を通してアフガニスタンへ寄付しているという事実を発見した。ペシャワール会はアフガンで亡くなった故・中村哲医師の会である。

「写真家は見ることがすべてだ」の後には、「だから写真家は徹頭徹尾見続けねばならぬのだ。対象を真正面から見据え、全身を目にして世界と向き合い、見ることに賭ける人間、それが写真家なのだ」というメッセージが続く。今まで土門拳、田沼武能、秋山 庄太郎、入江泰吉、岡田紅陽、篠山紀信、キャパ、笹本恒子、岩合光昭、下岡蓮杖、前田真三など、写真家の記念館や企画展もいくつもみている。それぞれ独特の世界があるのだが、そういった写真家の中でも東松照明の存在感は抜きんでている。この東松照明という仕事師を人はさまざまに呼んでいる。いわく猛犬、写真界の良心、謎の人、先行者、挑発者、、、。人間として本物だったのだ。


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