5月1日。吉村昭「事実を主にしても、私は小説を書いている」

吉村 昭(よしむら あきら、1927年(昭和2年)5月1日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の小説家。妻は作家の津村節子。

戦史、歴史、医学、動物、地震、津波を書く。入念な取材には定評がある。この人の書いた小説はずいぶん読んだ。前野良沢と杉田玄白を書いた「冬の鷹」、尾崎放哉を書いた「海も暮れきる」、小村寿太郎を描いた「ポーツマスの旗」、、、、。「三陸海岸大津波」「関東大震災」の二つは、3・11の後に読んでいる。「自然は、人間の想像をはるかに越えた姿をみせる」。

亡くなった2006年の新聞では「同世代で同じような経験をしていて、ひどい目にも遭っただろうけど、ついぞそういう話をしない人でした」(城山三郎)との談話が載っていた。

吉村昭の小説はスキがないが、講演ではユーモアあふれた話しぶりであるのは意外だった。講演テープを聴いて、ますますこの人のファンになった。「今日もまた 桜の中の遅刻かな」という句を大学時代に詠んで先生を感激させた逸話が津村節子のエッセイにある。厳しさと同時にやさしい目で歴史上の人物を見ていたのだろう。

18歳の昭和20年8月15日に敗戦を迎えた吉村は、「思いもかけぬことで呆然としたが、最も驚いたのは、それまで戦争を遂行と戦意高揚を唱えつづけていた新聞、ラジオ放送の論調が一変したことであった」とマスコミと軍部を痛烈に批判している。

「小説とは、文章ですべてのストーリーをつむぐ文字の芸術。小説の一文字一文字に小説家の魂が込められている。つまり小説の名言とは小説家の言霊であり、小説家の肉体は滅びても、魂は我々の中で生き続けている証でもあるのだ!」

吉村昭は丹念な取材で事実を明らかにしていくが、それはノンフィクションではなく小説であるという。事実と事実のすき間を主人公たちの想像上の名言で埋めていく、それが小説である。小説を書き遺すことで、肉体は滅びても魂は生き続ける。吉村昭の小説が読者を引き込むのは、鍛え抜かれた名言を絞り出す魂の迫力である。

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