「名言との対話」5月27日。 長谷川町子「常に温かく誠実な一人の女性が、あるとしたら、社会的にどんなに見映えのしない、存在であろうとも、その人こそ、世の中を善くする、大きな原動力であると思います」

長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月30日 - 1992年(平成4年)5月27日)は、日本の漫画家。

1年前の「名言との対話」で、次のように長谷川町子を取り上げている。

「常に温かく誠実な一人の女性が、あるとしたら、社会的にどんなに見映えのしない、存在であろうとも、その人こそ、世の中を善くする、大きな原動力であると思います」

長谷川 町子(はせがわ まちこ、1920年(大正9年)1月30日 – 1992年(平成4年)5月27日)は、日本の漫画家。日本初の女性プロ漫画家として知られる。「サザエさん」のほかには、「エプロンおばさん」「意地悪ばあさん」など。

サザエさんは「常に温かく誠実な女性」であった。その人の存在自体が世の中を少し善くする、そういった人が増えるともっと善くなる。一人の存在は小さいが、実は大きい。そういうことを、サザエさんは教えてくれる。

今回、工藤由美子『サザエさんと長谷川町子』(幻冬舎新書)を読んだ。工藤は1950年生まれ。硬派の人物論、女性の生き方のルポルタージュ、皇室本など多岐にわたるジャンルを書く実力者だ。徹底した調査に基づく容赦のない目は長谷川町子の本当の姿をえぐっている。

意外なことに、男子にも負けたことがないほど、福岡では町子は並外れた悪童だった。得意科目は図画と作文である。一家は上京し、町子は「のらくろ」田河水泡の弟子になり、「天才だ」と評価され、大活躍が始まる。

国民的人気漫画「サザエさん」は、朝日新聞で1949年から1974年まで25年間続いた。朝日は387万部であり、一家4人で読むと1500万人近い人がこの漫画に親しんでいたことになる。私の家もみな「サザエさん」のファンだった。また江利チエミ主役の映画がシリーズ化され、テレビの連続ドラマになった。フジテレビは1969年からアニメ「サザエさん」を放映し、毎回20%以上という驚異的な視聴率をたたき出した。

町子は漫画で成功した初めての女性であり、美空ひばりに続く女性二人目の国民栄誉賞を受賞した。遺産総額は松本清張をはるかに凌駕する30億円に迫る金額だった。莫大な収入は桜新町の長谷川町子美術館に結実する。この美術館は私も訪ねたことがある。日本画311点、洋画250点、工芸品195点、彫塑32点で、計788点にのぼる。加えて町子自身の漫画作品も展示されている。2020年の今年、生誕100年を記念し、長谷川町子記念館がオープンした。ここは訪ねたい。

三姉妹の姉も妹もキャリアを犠牲にして長谷川町子というブランドを支えた。マネジャー役だった母が亡くなる2、3年前に、町子という「お山の大将」をめぐって鉄壁のチームは瓦解する。

「入院はしないこと、手術は受けないこと、そして葬儀、告別式はしないこと」と言っていた。「マンガ家ってものは、たしかに健康によくない」と断言していた町子は、やや早い72歳で亡くなっている。

サザエさんで描いた磯野家とは真逆の家族関係、町子の苛烈な人生を描いた工藤由美子の評伝も読み、また長谷川町子の言葉を探してもみたが、マスコミ嫌いであったせいか、意外に残っている言葉は少ない。「男の人にはない題材がつかめるからじゃないか」などはあったが、パンチが足りない。ということで、やはり1年前に注目した言葉に行きついてしまった。そして感想も同じになってしまった。

サザエさんは「常に温かく誠実な女性」であった。その人の存在自体が世の中を少し善くする、そういった人が増えるともっと善くなる。一人の存在は小さいが、実は大きい。そういうことを、サザエさんは教えてくれる。

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