「名言との対話」(戦後命日編) 10月19日。上野季夫「1年生のつもりで天体物理学の勉強に取り組みたい」

「名言との対話」10月19日。

上野季夫(うえの すえお 1911年2月26日ー2011年10月19日)は天体物理学社者。京都大学教授。100歳のセンテナリアン。

第二次世界大戦が終わった翌年の1946年、7年余りの軍務を終えて,京都大学宇宙物理学教室へ戻る「1年生のつもりで天体物理学の勉強に取り組みたい」という強い思いで研究活動を再開した。当時、星の大気モデルの研究において懸案となっていた「opacity table」を早速作成し、再びその研究成果が国際的に脚光を浴びることになる。

1950年代半ば,ライフワークとなる輻射輸達論の基礎となる確率論的手法に関する研究を開始。1957年にはフランスに留学し、2年の間に10編もの論文を発表し「輻射輸達問題の確率論的解析」の第一人者として「世界のウエノ」となった。

1960年には、アメリカの応用数学者ベルマンに招かれ、ランド・コーポレーションで共同研究を始めた。

1971年に京都大学を退官し、アメリカ・南カリフォルニア大学教授を3年間務めた後、金沢工業大学に移り13年間つとめた。金沢工業大学を退官後は京都コンピュータ学院情報科学研究所所長として活躍した。

研究者としての面。輻射輸達論の世界的権威。輻射輸達論は「放射伝達論」ともいわれ、地球環境問題を科学的に実証する重要な研究分野として注目されている。この問題が起こることをいち早く察知し、人工衛星データを用いて地球環境問題に精力的に取り組んだ。生涯400編以上の論文を発表。

教育者としての面。京「本質を見抜く目と純粋な魂を持たれた真の科学者」は、京都コンピュータ学院の長谷川靖子学院長をはじめ教え子も多く、彼らは上野の百歳を記念して2011年3月にシンポジウムを開催している。その人柄を慕う後輩たちは百歳のお祝いのシンポジウム。誠実で高潔な人柄のナなせるわざだろう。これが特筆すべきところだ。。

そういえば、還暦を迎えた柳田国男は、「還暦祝賀会は呑気な江戸の町人隠居のやること」であり、お祝いなぞしてはならん。これを機会に共同研究をやるならよろしい」と弟子たちにはっぱをかけている。またその影響受けた梅棹忠夫は、還暦記念として比較文明学シンポジウム「文明学の構築のために」が開催しており、梅棹は「生態系から文明系へ」という基調講演を行った。

百寿記念シンポジウムの開催は、100歳でもなお前を向き続ける精神の表明だ。還暦、古稀、喜寿、米寿、白寿、百寿、、。こういった節目には単なるお祝いをすべきではない。上野季夫のセンテナリアン人生からは、「 1年生のつもりで取り組む」精神を学びたい。


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