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「平成命日編」 5月20日。由利徹「チンチロリンのカックン」「オシャマンベ」

由利 徹(ゆり とおる、1921年5月13日 - 1999年5月20日)は、日本の喜劇俳優。

1942年芸能界に入る。1947年新宿・ムーラン・ルージュに参加する。解散後は浅草・花月劇場、新宿セントラルなどに出演し、1956年には八波むと志、南利明の三人で「脱線トリオ」を結成、日本テレビ「お昼の演芸に出演して爆発的な人気を得た。由利の「カックン」は流行った。1962年にトリオを解散、以後は独得のズーズー弁と「オシャ、マンベ」のキャッチフレーズ、身をくねらす芸で活躍する。人柄もよく芸人仲間から慕われ、日本喜劇人協会会長に就任している。舞台では「雲の上団五郎一座」「花盛り江戸っ子気質」、映画では「イタズ」「大いなる助走」、そして久世光彦演出プロデュースのテレビ人気番組「寺内貫太郎一家」「時間ですよたびたび」などにも出演しするなど幅広い芸風だった。

芸名を「ムリトウル」(「無理通る」)にしようとしたが「この名前では大物になった時に困るだろう」として、一字変えて「由利徹」とした。由利徹のギャグ「チンチロリンのカックン」は「がっくり」より軽い失望を表すのだが、レコード「カックン・ルンバ」や映画「カックン超特急」まで作られ、流行語になった。また、「オシャ」で下半身に力を入れ、「マンベ」で股を開くギャグも流行し、長万部は一躍有名になった。亡くなった際には長万部町から弔電が届いたという。

脱線トリオの相棒だった八波むと志という芸名は、九九の「8×8(はっぱ)=64(6=“む”と4=“し”)」から来ている。南利明は1969年のオリエンタルの「スナックカレー」のCM中での名古屋弁のフレーズ「ハヤシもあるでョ〜」が流行った人だ。

喜劇人の流行語ギャグを拾てみよう。以下、私が記憶にあるもの。牧伸二「あ~あんやんなっちゃった、あ~んあ驚いた」。岡八郎「えげついな~」。明石家さんま「意味ないじゃん」。植木等「およびでない?およびでない?こりゃまた失礼いたしました!」。ビートたけし「赤信号みんなで渡ればこわくない」。伴淳三郎「アジャパー」。藤田まこと「あたり前田のクラッカー」。ハナ肇「アッと驚くタメゴロー!はっはっはっ、何?」

短い言葉や仕草で滑稽感をだすのがギャグだが、活字ででみただけでは面白くもなんともないが、公演や番組の中で聞くと皆が笑う。タイミング、即興性、顏、身振りなどの全体が受けるのだ。由利徹はこの二つのギャグで記憶に残った。ギャグに限らず、俳句も短歌も短い言葉であり、それらは長い生命力をもっている。名言もそうだ。


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