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「名言との対話」3月8日。肥沼信次「日本の桜はとても美しく、皆に見せてあげたい」

肥沼 信次(こえぬま のぶつぐ、1908年10月9日 - 1946年3月8日)は、日本医学者

第二次世界大戦後のドイツで医療活動に尽力し、現地で病没した。ヴリーツェン市名誉市民、医学博士(ベルリン大学)。

八王子出身。東京府立二中(立川高校)を卒業し、日本医科大学から東京帝大放射線研究室へ進む。肥沼はアインシュタンとキュリー夫人を尊敬していた。1937年、国費留学生としてドイツのコッホ研究室、その後ベルリン大学医学部客員研究員。ベルリン大学医学部で東洋人として初の教授資格を取得した。

ソ連軍のベルリン攻撃で陥落寸前に、帰国船にのらず、ポーランド国境近くのエーベルスヴァルデに疎開した。ドイツで研究を続けようとしたのである。戦後ソ連軍が創設しヴリーツェンの伝染病医療センターの初代所長となる。医師一人、看護婦二人で衛生環境も悪く医薬品も不足する中、治療に全力を尽くし献身的な働きをした。自身もチフスで1946年3月8日に死去。享年37。

1960年には赤十字から死亡通知が届いている。ベルリンの壁が崩壊した1989年にヴリーツェンの郷土史家の調査で「戦後の大変な状況の中で、先生に命を救っていただき、感謝の気持ちは忘れません」という住民の証言があり、ドイツでは肥沼博士の調査が始まる。朝日新聞の尋ね人欄に「日本人医師・故コエヌマノブツグをご存じの方はいませんか」という記事がのり身元が判明した。1994年にはヴリーツェン市は名誉市民の称号を贈り、市庁舎前に記念銘板が設置された。ヴリーツェン市には「Dr.コエヌマ通り」がある。

2017年、八王子市長が当市を訪問し友好交流協定を結んだ。日本でも2017年に八王子駅北口から遊歩道を5分ほどの中町公園に「お帰りなさい Dr.肥沼」と書かれた顕彰碑が建てられた。そこは肥沼の実家の近くである。2018年には八王子市市制100周年記念表彰で、特別表彰されている。

「日本の桜はとても美しく、皆に見せてあげたい」と周囲に語っていた肥沼が最後に言い残したのが「日本の桜が見たい」だった。肥沼信の弟の栄治は100本の桜の苗木を贈った。ヴリーツェンの市民グループは顕彰碑目の通りにヤエザクラの桜並木を整備する活動を行っている。肥沼信次の希望をかなえてくれたのである。3月8日の命日にはヴリーツェン市では慰霊祭が営まれている。「ドクター・コエヌマ・ビーチパーク」と命名された運動施設もある。

八王子でも2015年に肥沼博士の功績をたたえる会「Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会」ができて、講演会、イベントなどを行っている。私も八王子の図書館で、肥沼信次のイベントのパンフをもらったことがある。記念館をつくろうという新聞記事を読んだ記憶がある。

第二次大戦の前後に、ドイツという異郷で人々の命を救う医療活動を行い、人知れず亡くなった、こういう偉い人がいたのである。私の住む八王子が生んだ偉人の尊い事績を語り継いで欲しいものである。日本近代現代の人物の発掘と顕彰と広報が、日本の再生のために必要だと改めて思った。

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