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4月23日。衣笠祥雄「私は年齢による弱音は一切はかないことにした」

衣笠 祥雄(きぬがさ さちお、1947年1月18日 - 2018年4月23日)は、日本のプロ野球選手(内野手)。引退後は野球解説者・野球評論家・タレント。国民栄誉賞受賞。

進駐軍の兵士として日本に駐留中だったアフリカ系アメリカ人の父親と、日本人の母親の間に生まれた。

強打者・衣笠祥雄は、連続フルイニング出場(先発出場して試合終了までオーダーに名前を連ねていること)は678まで伸ばした。日本記録は700試合連続だった。次は連続試合出場日本記録への挑戦になった。 連続試合出場記録2215という日本記録を打ち立てた。これは当時の世界記録でもあった。

赤ヘル打線の主砲として1970年代後半から1980年代の広島カープ黄金時代を築き上げる原動力となった。盗塁王を獲得するなど史上3人しかいない500本塁打、200盗塁を記録し、ゴールデングラブ賞を3度受賞した屈指のオールラウンド・プレーヤーだ。三振1587個(歴代3位)、ホームラン504本(歴代7位)。これが23年間の通算記録である。自分の魅力は何かと問われて衣笠は「空振りでしょうね」と即答している。1996年6月14日にカル・リプケン・ジュニア(オリオールズ)が連続試合出場の世界記録を更新した試合には、来賓としてアメリカに招かれている。

「扇風機打法」とよ呼ばれた、ぶんぶんと思い切り全力で振り回す打法は魅力があった。当たるとホームランになるから怖かったと述懐する投手もいる。打率に生きる割り算人生より、ホームランや打点を大切にする足し算人生を目指したため打率は高くなかった。フルスイングの人生を信条として長距離打者を目指した。

そしてどのようなアクシデントに襲われても強靭な体力で試合に出続けた。その姿をファンは「不屈の鉄人」、「不死身のゴリラ魂」と呼んでいた。死球を受けても「いいよ、いいよ」と相手投手に手を挙げる姿には、巨人ファンだった私も好感を持ってみていた。

「毎日同じ時間に開始し、ゆったりとした計画を一つずつ確実にこなすこと」。「継続こそ力なり。人生は終わってナンボだと思います」。 「自分とどう戦い続けるか 継続こそ力なり!」。「夢を捨てるか捨てないか。これで勝負が決まる」。衣笠はまさに「継続」の人であった。40歳まで現役だった衣笠は「自分を信頼することを基本にして生きていきたい」とし、「私は年齢による弱音は一切はかない」と決心して精進を重ねた。年齢による弱音を吐きがちな世相への警鐘と受け止めたい。



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