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8月13日。 。ミッキー・マントル「もしこんなに長く生きると知っていたら、もっと自分を大事にしていただろう」

ミッキー・チャールズ・マントル(Mickey Charles Mantle, 1931年10月20日 - 1995年8月13日)は、アメリカ合衆国のプロ野球選手。

大リーグを代表するスター選手・ジョー・ディマジオの後継者としてニューヨーク・ヤンキースに入団した。1951年から1968年までの17年間ヤンキースで主軸を打ち、MVP3回、ホームラン王4回、首位打者と打点王は1回ずつで、通算打率2割9分8厘であった。1953年には171.8mの超特大ホームランを放った。1960年には195mのホームランを記録し、ギネスブックに「史上最長本塁打」として掲載された。

1956年には、いずれもリーグトップの打率.353・52本塁打・130打点・132得点・376塁打・長打率.705・OPS1.169を記録し、当時史上9人目(11度目)の三冠王を獲得。スイッチヒッターとして初の三冠王であった。

1960年に移籍加入したマリスとの破壊力のあるMM砲という呼び方は少年時代の私の記憶にもある。マリスはベーブ・ルースを抜く61本、マントルは54本のホームランを打つ年もあった。スーパースターだったことで、「私は、しみったれたヒットを打ってはいけなんです」というように、厳しい宿命を意識していた大打者だ。

早世の家系だと思い込んだマントルは、その恐怖を紛らわせるために飲酒に走り、体を壊す。癌に犯され、63歳で生涯を閉じる。晩年に開いた記者会見でマントルは「私はいい手本だ。どうか私のようにはならないでほしい」と人生を大事にすべきだと語っている。人生100年時代が身近に迫ってきた今日、「もしこんなに長く生きると知っていたら、もっと自分を大事にしていただろう」というマントルの悔悟の言葉は、現在の私たちにも大事な教訓だ。

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