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5月17日。猪熊弦一郎「うまずたゆまず仕事をする以外にない」

猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう、1902年12月14日 - 1993年5月17日)は、昭和期の洋画家。

東京美術学校に入り、藤島武二に師事するが、同校を後に中退。

本業は画家ということになっているが、版画、デッサン、彫刻、オブジェ、コラージュ、公共空間の壁画、ステンドグラス、モザイク、緞帳、表紙絵、挿絵、デザイン、、などその活躍の分野は実に多彩である。帝国劇場、上野駅の壁画「自由」、東京会館、丹下健三設計の香川県庁舎の壁画、朝日生命、半蔵門線三越駅ホーム、慶應義塾大学ホールの壁画「デモクラシー」、川崎市役所、山梨県民文化ホール、十和田市民文化センター、広島厚生年金会館、愛媛文化会館、、、などで作品を目にすることができる。また、三越の包装紙「華ひらく」、黒沢監督「生きる」のポスター、大関増位山の化粧まわし、、、なども猪熊の仕事である。

1955年、52歳で再びの渡仏の途中でニューヨークに魅せられ、そのまま拠点とし20年を過ごす。すべてやり直しで勉強する。ここでは抽象の世界に画風が転換する。

2015年に四国香川県の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館でその仕事ぶりを眺めた。そこで手に入れた資料で、影響を受けた人の言葉をみつけた。黒田清隆からは「芸術というものは、先生が手をとって川を渡してくれるようなものではない。自分で川に橋をかけ、自分で向こう岸に渡らなくてはならない」と教えられている。36歳で渡仏し師事したマチスからは「お前の絵はうますぎる」と言われ自分独特の画風が未完成なのだと衝撃を受ける。

NHK「あの人に会いたい」では、時代を描く以外にない、新しい絵を描くことは自分との戦いであり、冒険であり、勇気がいる、と語っている。

「うまずたゆまず仕事をする以外にない」以外には、「あらゆる苦難の過去を一つ一つ大きな神の力で救われながら、私は毎日の仕事が愉快でならない」「絵はたまに描いたんでは駄目なんです。毎日頭から絞り出していないといけない。絵を描くには勇気がいるよ」。

73歳からは毎年温暖なハワイで冬を暮らしながら創作を続ける猪熊弦一郎自身の仕事に取り組む姿勢を示す言葉を拾ってみると、天職を楽しみながらかつ必死に仕事に没頭し、挑戦を続ける90年の勇気ある生涯がみえる。


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