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11月16日。 ミルトン・フリードマン「消費者にとって最大の危険は、民間や公共の独占体制である」

ミルトン・フリードマン(英: Milton Friedman、1912年7月31日 - 2006年11月16日)は、アメリカ合衆国の経済学者。

ハンガリー東部からのユダヤ系移民の子で、シカゴ大学で経済を専攻し、修士、コロンビア大学で博士号を取得した。フリードマンはシカゴ学派の代表的存在で、1967年にアメリカ経済学会会長、1976年にはインフレ抑制を可能とする貨幣の中立性の理論などでノーベル経済学賞を受賞した。

「将来に明るい見通しの広がっている所ではどこにおいても、必ずと言ってよいほど、経済活動は自由市場を通じておこなわれている」と観察しているフリードマンは、経済だけでなく広い分野で発言し、著作はあまりに多方面にわたっているため、全貌はなかなかみえないと言われている。「ナイアガラの滝の水量を小さな計量カップではかるのに似たり」という評もある。この小論では、自分なりの理解をしておきたい。

見えざる手の アダム・スミス、総需要管理政策を提唱した ケインズ、そしてケインズを批判しアダム・スミスの思想をさらに推し進め、市場経済の偉大さを強調した市場原理主義者のフリードマンは20世紀最大の経済学者と呼ばれる。お金の量さえコントロールすれば経済はうまくいくとするマネタリズムの旗手だ。貨幣供給量と利子率により景気循環が決定されるとするマネタリズムを基盤に持つフリードマンの「新自由主義」思想は、アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、日本の中曽根政権などを通じて世界を席巻した。国防と地方政府に仕事を任せた「小さな政府」を主張した。米英日などで経済が活性化し成果をあげたが、一方で規制緩和によって貧富の差が拡大した。日本では小泉政権時の労働の規制緩和によって派遣労働の仕組みが解禁されたことがきっかけとなった。

新自由主義路線で1982年に誕生した中曽根内閣は、電電公社、専売公社や国鉄の民営化を実現させるなど民間活力の活用や、政府事業の民営化を断行するなど、「小さな政府」を志向した。

日銀は長期間にわたって金融緩和路線をとり続けバブルをつくり、最後に金利を引き上げや通貨供給量の伸びを急激に抑えるなど急ブレーキをかけてバブルを崩壊させ、深刻な景気後退を引き起こしてしまった。以上が1982年から1986年まで日銀の顧問も務めていた フリードマンの日本の「バブル」の見立てである。1986年には中曽根康弘内閣から「勳一等瑞宝章」を受賞している。

現在は、統制と規制のない徹底した自由が、世界を富ますという新自由主義の嵐が去った後の反省期にある。フリードマンの「消費者にとって最大の危険は、民間や公共の独占体制である」という信念は、公共だけではなく民間にも触れている。GAFAなど巨大なプラットフォーマーが出現している21世紀の世界でもフリードマンの独占の危険を語る警鐘は生きている。

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