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「名言との対話」 8月4日。道上伯「心技体」

道上 伯(みちがみ はく、1912年10月21日 - 2002年8月4日)は日本の柔道家である。

京都の武専から、旧制高知高校を出て、上海の東亜同文書院で柔道を教える。その後、ヨーロッパに渡る。身長173 cm、体重75kgの道上は生涯無敗の柔道家であった。

ヘーシンクと神永昭夫を取り上げたとき、道上伯のことを知った。今回、眞神博『へ―シンクを育てた男』(文芸春秋)を読み、道上伯の生涯と志と、異国で活躍する日本人と祖国日本との確執も知った。

誰よりも強く誰もが憧れる柔道家を育てるためには、スーパースターを作るのが早い。選ばれたのはオランダのヘーシンクだった。自転車、ランニング、フットボール、バーべル・ダンベル・エキスパンダーなどのウェイト・トレーニング、レスリング、水泳、などを取り入れた。ヘーシンクは、アルコールと煙草を口にしないという強い意志で、合理的で力学的な指導に従った。そして「私にはウイーク・ポイントがない」というまでになった。

1961年の世界選手権と1964年の東京オリンピックでオランダのヘーシンクは日本を破った。東京オリンピックの無差別級では、日本の神永はヘーシンクに判定負けした予選と敗者復活での一本での決勝と2度敗れた。このときの衝撃は中学生だった私にも強烈なものだった。

柔道は武道としての柔道から、ヨーロッパスタンダードのスポーツとしてのジュードーへと変化した。その流れに講道館を中心とする独善の日本柔道は敗れたのである。柔道の変質は、日本の柔道が国際的な発言権を喪失していく過程と軌を一にしている。

「心技体」と言う言葉を最初に使ったのは道上伯である。「柔道の最終的な目的は、心技体の錬成を通じて、立派な人間になろうと努力することである。身体を鍛えて強くなろうとすれば、技術の錬成が欠かせない。技術を身につけようとすれば、苦しさに耐えて練習を積み重ねなければならない。苦しみに耐えてそれを続ければ精神力を強くする。このように心と身体と技を同時に鍛錬するのが、柔道というものだ、柔道は人間形成そのものなのだ」

「体」は体格ではなく、体力である。体重や力の強さに加えて、筋力の強靭さ、弾力、反射能力の総合を意味する。その体力が技術を100%生かすのだ。日本柔道は体格と腕力ではなく、ヘーシンクの体力に負けたのである。体力というものは意志の力で作りあげるものなのだ。それは立派な人間になろうとする人間形成の過程なのである。

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