12月28日。石原裕次郎「美しき者に微笑を 淋しき者に優しさを 逞しき者に更に力を 全ての友に思い出を 愛する者に永遠を 心の夢醒める事無く」

石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年(昭和9年)12月28日 - 1987年(昭和62年)7月17日)は、日本を代表する俳優、歌手。

石原慎太郎のベストセラーに石原裕次郎のことを書いた『弟』という作品がある。作家と俳優というこの二人の年齢差は二つだ。この作品を読むと兄の目から弟や弟との関係を描いていて、共感を覚えるシーンが多々あった。私の二つ違いの弟にも読むことを勧めた記憶がある。仲間、ライバルなど微妙な二つ違いの関係や感覚を描いた傑作だ。

「兄貴は、僕の尊敬する人物の一人だ。 小さいときから、そうだった。 遊びのことでも、スポーツのことでも、試験勉強のやり方でも、兄貴の言うとおりやれば、まず間違いないと思っていた。こうなると、もう一種の信仰だね。だから、あいつの言うことはよく訊いた。いまでもそうだ。」

訪問した群馬県館林の向井千秋記念子ども科学館では、慶應義塾大学の医学部で活躍する、後の宇宙飛行士向井千秋の写真が掲示してあった。石原裕次郎が患者として入院していたそうで、「内藤先生へ」(旧姓)というサインのあるレコードも飾ってあった。

裕次郎は「人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯(一生)忘れるな。」というポリシーを持っていたそうだ。

冒頭の言葉は、墓碑に夫人(北原三枝)の直筆で刻まれている言葉である。自身の存在と仕事で、微笑と優しさと力と想い出と永遠という素晴らしい影響を与えた裕次郎は、俳優業については、しばしば「男子一生の仕事にあらず」と語っていたというが、俳優をはるかに越える「裕次郎」という国民的存在になったのである。


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