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11月18日。 平塚運一「彫り上げて いざ摺らんかな 初摺りの この嬉しさを 誰にか語らむ」

平塚 運一(ひらつか うんいち、1895年11月17日 - 1997年11月18日)は、島根県八束郡津田村(現松江市)出身の版画家。享年102。

島根県松江市の宮大工の家に生まれる。1913年、石井柏亭の講習会を受講し画家になる決心をする。1915年、上京し柏亭に師事。本郷洋画研究所に通う。1917年松江に帰り結婚。1920年、単身上京。「中央美術」に記者として入社。1935年には東京美術学校の版画教室開設にともなって教壇に立った。

1962年渡米し、娘桂子のワシントンの家に落ち着く。ワシントン近代美術館、シンシナチ美術館などで個展などを開催した。簡明直截でおおらかな力強い作風で、木版画の神様とも呼ばれた。

「平塚運一版画集ーー版画・スケッチ・水彩・油彩65年のあゆみ」には、私もよく知っている場所を取り上げた「雨の耶馬渓 羅漢寺」「小泉八雲旧居」「雪のニコライ堂」などが目についた。この冊子の平塚の「謝意」は「米国華府郊外 平塚運一」と結ばれている。米国華府とはアメリカ合衆国の首都ワシントンのことである。平塚は松江名誉市民となっている。また1991年には長野県須坂市に須坂版画美術館・平塚運一版画美術館が開館した。

木版画という分野は、日本では伝統的に絵師、彫師、摺師という職人が存在している分業制だった。それは複製技術を重視したためである。平塚運一は木版画を美術としてみて他のジャンルと同様にすべての工程を1人の作者が担う「自画・自刻・自摺」という近代創作版画運動を担った一人である。「彫り上げて いざ摺らんかな、、」はその精神と喜びを歌ったものだ。だから、67歳から住んだワシントンでも、102歳まで35年ほどの活動ができたのだろう。

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