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「名言との対話」2月19日。アンドレ・ブルトン「美は痙攣的なもんだろう。さもなくば存在しない」。

アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896年2月19日 - 1966年9月28日)は、フランスの詩人、文学者、シュルレアリスト。

2020年3月に箱根のポーラ美術館で「シュールレアリスムと絵画ーーダリ、エルンストと日本の「シュール」」展をみた。

第一世界大戦を経験し大量破壊兵とそれを生んだ近代代合理主義に疑問を持つ。超現実を表現する新たな美意識を提唱し、1924年「シュールレアリスム宣言」を発表する。エルンスト(ドイツのダダ運動。1891-1976))、ダリ(スペイン。1904-1980))とシュールレアリスム運動を進めた。オートマティスム(自動記述)を発明して作品を書いた。ブルトンはシュルレアリズム運動は世界の見方、人間の生き方についての新しい思想だった。1928年には『シュールレアリスムと絵画』という書物を書いている。

シュールレアリズムを創始し、「シュルレアリズムの父」と称されブルトンは、常にこの運動の中心にいて「法王」とも呼ばれている。しかしエルンストやダリはブルトンから除名されており、創始メンバーはみなブルトンから離れている。

ブルトンはシュールレアリズムの主な要素として、理性によるコントロールを受けない思考の書き取りである「自動記述」を始めた。あらかじめ何を書くかを決めずに、先入観なしに紙にペンを走らせるという方法だ。それはマッソンやミロの自動デッサンにつながっていった。かけはなれた図像の並置によって不条理なイメージが生まれ、幻覚的効果が現れるエルンストらの「コラージュ」に発展していく。シュールレアリスム運動は、第一次世界大戦への惨禍への反省から生まれた。合理主義に基づく近代文明への懐疑であった。

日本では福沢一郎などが禅と結びつけて取り上げた。しかし表面的に模倣されたが、反理性、反文明、反戦、反ファシズムの思想にはならなかった。むしろ「現実離れしていて真の理解が不可能であるさま」のことを「シュール」と呼ぶようになっていく。「シュールリアリズム」の旗手と皆が思う福沢一郎は「俺あシュールレアリストなんかじゃねえよ」と否定している。世に出た初めの印象はなかなか払拭できないのだ。

大学生時代、部誌に「シュールロマンチスト宣言」なる文章を寄稿したことを久しぶりに思い出した。シュールとは「超」であり、「究極の」という意味で使っていたのだと思う。当時、「シュール」という言葉が話題になっていたのだろうか。

この企画展と図録、書籍『シュルレアリスム宣言』(岩波文庫)を眺めて、20世紀の芸術にもっとも大きな影響を与えた芸術運動のひとつである「シュルレアリズム」については、ブルトン自身の名著よりも、まだ解説の方がわかる段階だが、少しだけ理解が進んだ気がしたのだった。「美は痙攣」であるというブルトンの見方は、岡本太郎にも影響をあたえているように思う。

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