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「名言との対話」7月17日。浜田知明「戦争の残酷さや悲惨さ、軍隊の野蛮さや愚劣さを描きたい」

浜田 知明(はまだ ちめい、本名の読みはともあき、1917年(大正6年)12月23日 - 2018年(平成30年)7月17日)は、日本の版画家・彫刻家。享年100。

熊本県上益城郡高木村(現・御船町)出身。16歳で東京美術学校に入学し藤島武二の指導を受ける。20代の大半は軍隊で過ごす。戦後の1951年から1954年までの銅版画「初年兵哀歌」シリーズは国内だけでなく海外でも話題になった。浜田知明オーストリア、英国、イタリアでも回顧展や展示なども多く、世界的な評価を得た版画家である。イタリアフィレンツェのウフィッツイ美術館では日本人初の個展を開いている。

「冷たく、暗い、金属的な感じ」をだすため、エッチング(腐食銅版画)を採用している。浜田の作品は、ブラックユーモア、風刺、アイロニーなどの言葉で紹介されることが多い。皮肉、諧謔、あてこすり、反語などをユーモアの衣でくるんだ表現で見る人の心に刺さる作品をつくる。

テーマは、「戦争の残酷さや悲惨さ、軍隊の野蛮さや愚劣さを描きたい」とした戦争など「時代」であり、「自分自身」であり、「人間」であった。時代と自分に向き合った版画家である。65歳以降は彫刻にも舞台を広げている。

「初年兵哀歌(歩哨)」では、過酷な従軍生活に嫌気がさして、塹壕の中で自分に向けて足で銃の引き金を引こうとする哀しい姿を描いて深い印象を与える作品だ。

「ボタン」という作品では、一番の大物が原爆のキノコ雲を頭に描きながら、部下である少し小さい次の人の後頭部のボタンを今まさに押そうとする人間が、その次の人のからだのボタンを押そうとし、その無表情の人が実際の核のボタンを押そうとする不気味な連鎖の姿が見る人に焼き付く、象徴的な作品である。

2018年3月から4月にかけて町田市立国際版画美術館では「浜田知明 100年のまなざし」展が開かれた。その時、浜田知明は100歳の誕生日を迎えていた。最晩年まで創作に励んでいたセンテナリアンだ。

2021年に東京ステーションギャラリーの「小早川秋聲ーー旅する画家の鎮魂歌」展でみた小早川秋聲の「国の盾」は、将校の軍服姿で顔に白い布がかぶせられた荘厳な死体だった。暗い背景に陸軍将校の遺体が横たわっている。頭部をおおう布には寄せ書きの書かれた日章旗がかぶせられている。闇に浮ぶ死体である。最初にこの絵をみた陸軍の軍人たちは、思わず帽子を脱いで敬礼をしたという。

浜田の「初年兵哀歌」では、自ら死を迎えようとする末端の兵隊の姿、「ボタン」では世界を破滅に陥れる核のボタンを押そうとする為政者の姿が具体的にみえる。そして「国の盾」。戦争の実態と意味を描いたこの3つの作品は、ずっと頭から離れないだろう。

小説、詩、短歌、俳句、映画などで描かれる戦争の姿にはよく接するが、絵画や版画という世においても、強烈な印象を与えることができることを知った。

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