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「名言との対話」 4月4日。堀越千代「国文、漢文の学びを通し心の素を養い、茶華道、礼法を修め、心身を整え、さらには数学、化学を学び、物事の合理的成り立ちを理解し、風評や情に流されない「思考力」を身につけ、そして女子の「自営の心」を養い、「品性を高めること」が大事だ」

堀越千代(1859年(安政6年)8月15日ーー1948年(昭和23年)4月4日は、明治〜昭和期の教育者。和洋裁女学校創立者。堀越高等女学校校長。

岩手県盛岡生まれ。裁縫に関心を持ち、1883年年より洋式東京洋服裁縫学校に学ぶ。卒業後、2年ほど母校の教師を務めと後、フランス婦人に従ってフランス式裁縫を修得した。1997年東京・飯田町に和洋裁縫女学校を設立し校長。数学、英語を始めとする一般教育科目や卒業後の無試験による中学裁縫教員免許の授与など教育課程をを充実させた。1923年には堀越高等女学校を創立し校長に就任。次いで、1928年には和洋裁縫女学校を和洋女子専門学校に発展させ、のちの和洋学園の基盤を確立した。東亜婦人協会理事。勲六等。享年90。国府台キャンパス東館1Fのエントランス壁面に堀越千代のレリーフが設置されている。

日本女子大を創設した広岡浅子(1849-1919)は「犠牲的精神を発揮して男子を感化する者とならねばなりません」と言い、実践女子大を創設した下田歌子(1854‐1936)は、「社会風潮の清濁は、その源男子にあらずして女子にあり、、、まことに揺籃を揺るがすの手は、以て能く天下を動かすことを得べし」と語っている。そして堀越千代も、「日本が列強諸外国に劣らない国となるには、未来を担うこどもの教育が肝要であり、延いては、最初にこどもに教育する女性の教育が日本の近代化に不可欠であると判断し、女学校の立ち上げを決意した」、さらに冒頭の言葉を同窓会報「論説講話」に書いている。

親鸞の教えの伝道者であった暁烏敏の歌「十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母ありなむや」がある。自分にとっては自分の母が最高の母という賛歌だ。偉人の父はともかく、母は総じて偉い。子どもの将来は、父親よりも母親の愛情と言動にかかっている。女子教育の重要性はここにある。


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