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「名言との対話」7月23日。益川敏英「若い人は憧れとロマンを以て進んでほしい。それから英語は重要」

益川 敏英(ますかわ としひで、1940年昭和15年〉2月7日 - 2021年令和3年〉7月23日)は、日本理論物理学者。享年81。

名古屋市出身。名古屋大学理学部、大学院卒。仁科芳雄の学風を継承する「坂田モデル」で有名な坂田昌一のグループ員となり、名古屋大学助手時代に小林誠と共同研究を始める。京都大学助手、東京大学助教授を経て、1980年に京都大学教授。2008年に「小林・益川モデル」でノーベル物理学賞南部陽一郎とともに受賞。この時が、初の海外渡航だった。

ノーベル賞受賞時の記者会見で、「大してうれしくない」と語り、話題になった。ノーベル賞は古い業績から順に贈られるので、2008年には「きょうは遅くなるかもしれない」と妻に言って出ている。予感があったのだ。

益川敏英『僕はこうして科学者になった』(文芸春秋)を読んだ。自分を「あまのじゃく」「いちゃもんの益川」「浮気性」と自認している。

家具職人の父から教えてもらった雑学の影響で、理科や数学が得意だという勘違いが、錯覚を生み、勉強していくと得意になっていった。勘違い、錯覚、没頭、得意になる。これはよくある一連の流れだ。

大学院に入るときには数学と物理で迷う。心理学の河合隼雄は数学科だったし、哲学の梅原猛も数学が得意だった。きれいな解、美しい式を好む人たちが、他の分野でつじつまのあった理論を好むという特徴を発揮しているということなのかもしれない。

益川は歩きながら考えるという思考法だ。博士論文執筆時は自宅から大学までの15キロを途中で喫茶店によりながら往復10時間をかけていた。

益川の定理に「井の中の蛙の定理」と「ドン・キホーテの定理」があるそうだ。後者は偉人に憧れて、近づこうとするロマンが成長の原動力になるという理論だ。

科学について。パスツール「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」。坂田昌一「科学者は、科学者として、学問を愛するより以前に、まず人間として、人類を愛さねばならない」を座右の銘としている。

そして益川は「科学者こそが、科学や技術があわせもち危険性を事前に指摘していかなけければならない」と科学者の役割を述べている。近年の科学界については「大学の基礎科学が危ない」との警鐘を鳴らしている

平和運動にも熱心だった。60年安保やベトナム反戦運動。九条科学者の会。「日本国民は憲法9条変更に賛成するほどばかではない」。「憲法前文は涙が出るほど美しい。それこそ日本の生きる道が書かれている」。

教育。考えない人間を作る「教育汚染」、親は教育熱心なのではなく、教育結果熱心だと批判している。

エネルギー問題。これ一つでオッケーというものがない。それぞれの欠点を補いながらだましだましながら使うしかない。「コンデンサーやコイルで小さな回路をたくさん作って電気をためたらどうか」。

英語は生涯苦手で通している。ノーベル賞の記念講演でも日本語で発表した。中学1年時に、「money」を「もーねい」と読み爆笑され、先生からも「確かにお金はすぐになくなるよなあ」と笑われて、英語を学ぶのが嫌になった。大学受験でも200点満点の30点しか取れなかった。この本の最後には「若い人は憧れとロマンを以て進んでほしい。それから英語は重要。ありがとう」という落ちでしめていて笑わせる。

この本を書いた2016年に益川は70代半ばになっているのだが、大好きな謎解きはやめられない。新幹線に乗っている人の時間はゆっくり進み、高層ビルの屋上に置かれた時計は速くすすむ。この不思議な謎を解こうとしている。

益川敏英の「へそ曲がり」精神とそれが故の行動と発言にはユーモアがあふれているが、案外真面目な人だったようだ。照れ隠しが人々の笑いを誘ったのだろう。

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