9月23日。 五十嵐喜芳「今からでも遅くはない」

五十嵐 喜芳(いがらし きよし、1928年9月8日 - 2011年9月23日)は、日本の声楽家(テノール歌手)。

東京芸術大学卒。中川牧三、四家文子らに師事。安宅英一から安宅奨学金の援助をもらう。イタリアへ2度留学。1985年から1999年6月まで、藤原歌劇団総監督。1999年から2003年まで、新国立劇場オペラ芸術監督。2000年に昭和音楽大学(2007年まで)、同短期大学部(2009年まで)の学長となる。

音楽活動のみならず、46歳でのTBSのワイドショー『3時にあいましょう』の司会や、50歳でのドラマ『コメットさん』に出演し幅広く活躍したので、私も顔をよく知っている。

57歳で就任した藤原歌劇団総監督時代には、オペラの原語上演と字幕スーパーの導入を実行している。イタリア語、フランス語という言語でなければ作品の良さがでない。その代わり字幕スーパーで歌の中身を日本語でみせる。中身がよくわからないまま見ていたオペラが、この字幕スーパーのおかげで楽しめた経験が私にもある。またオペラ人口を増やすために開演前の解説、ダブルキャスト制なども導入している。

自伝『わが心のベルカント』(水曜社)を読んだ。ベルカントとは美しい声を出す歌という意味である。一人間は下腹部から腰、横隔膜、喉、鼻、頭へと一本の線でつながっている。その一本の線の上に声を乗せて歌う。それは腰から声を出すことだから腰の支えが大事なのだ。そして横隔膜の呼吸法で呼吸する。それがベルカント唱法だ。

オペラ歌手は健康でなくてはならないとして、74歳から歌うために体をつくり直している。ミネラルウォーター、ストレッチ45分、呼吸法、散歩。半世紀以上の歌手生活で風邪をひいて舞台を降りたのは1度だけという健康体だった。

五十嵐は「一度として自分の満足する歌が歌えたと感じたことはありません」という。だから歌い続けられたのだろう。「私たちは皆、生涯学徒なのです」という五十嵐は生涯をかけてオペラという山を登り続けた人である。24歳で東京芸大に入学、卒業時には28歳になっていた。29歳と34歳で2度のイタリア留学というから、出発はいかにも遅い感じがするが、父の遺訓でもある「今からでも遅くない」という座右の銘が運命をひらいたのだ。人生100年時代には83歳で亡くなった五十嵐喜芳の座右の銘「今からでも遅くない」は、さらに大事な心構えになるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?