「名言との対話」4月23日。上村松園「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります」
上村 松園(うえむら しょうえん、1875年(明治8年)4月23日 - 1949年(昭和24年)8月27日)は、日本画家。女性の目を通して「美人画」を描いた。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。子の上村松篁、孫の上村淳之と三代続く日本画家である。作品に「母子」「序の舞」「晩秋」など。著作に「青眉抄」。
松園は竹内栖鳳に師事した近代美人画の完成者で、女性初の文化勲章受章者。上村松篁は松園の嗣子で近代的な造形感覚を取り入れた花鳥画の最高峰で、文化功労者、文化勲章を受章。松園の美人画を花鳥画に置き換えた画風。上村淳之は上村松篁の長男で文化功労者。奈良の松柏美術館では、この三代の画家の作品と歴史に触れることができる。
近代美人画の大家・上村松園。父は松園の師の日本画家鈴木松年ともされるが、未婚であった松園は多くを語らなかった。 松園は竹内栖鳳に師事した近代美人画の完成者で、女性初の文化勲章受章者だ。
上村松園、上村松篁、上村淳之という三代にわたる日本画家の松柏美術館は、2015年に訪問した。奈良の近鉄グループの総帥・佐伯勇の自宅は現在では上村松園ら3代の日本画家の松柏美術館になって解放されていて訪問し、3代にわたる上村家の画業を堪能したことがある。母・上村松園「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります」と言い、その息子は「鳥の生活を理解しなければ、鳥は描けない 」と言う。親の姿勢がそのまま子に伝わっている感じがする。
その三代の作品展が東京富士美術館で開催された。新型コロナ騒ぎでわずか2日間の開催となり、急きょ見に行った。松園は竹内栖鳳に師事した近代美人画の完成者で、女性初の文化勲章受章者。上村松篁は松園の嗣子で近代的な造形感覚を取り入れた花鳥画の最高峰で、文化功労者、文化勲章を受章。上村淳之は上村松篁の長男で、鳥を描く画家で文化功労者。
松園は「生命は惜しくはないが描かねばならぬ数十点の大作を完成させる必要上、私はどうしても長寿をかさねてこの棲霞軒に籠城する覚悟でいる。生きかわり何代も芸術家に生まれ来て今生で研究の出来なかったものをうんと研究する、こんなゆめさえもっているのである。ねがわくば美の神の私に余齢を長くまもらせ給わんことを!」と述べている。その願いは、3代にわたる画業に結実している。
以下、3人の言葉を拾う。
松園:享年74
絵は鏡と同じえ。そのまま自分が写るのえ。心して生きておいき
一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願するところのものである
女は強く生きねばならぬーーそういったものを当時の私はこの絵(遊女亀遊)によって世の女性に示したかった
凝っと押し堪えて、今に見ろ、思い知らせてやると涙と一緒に歯を食いしばされたことが幾度あったかしれません、全く気が小さくても弱くてもやれない仕事だと思います
その絵を見ていると邪念の起こらない、またよこしまな心をもっている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる、、、といった絵こそ私の願うところのものである。芸術を以て人を済度する。これくらいの自負を画家はもつべきである。(済度:迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導くこと)
松篁:享年98
「少しでも香り高い絵を」と、私はこれまでも願ってきたし、これからもそういう画境を目標に描いていきたいと思う。
淳之:86歳
「鳥というものの生態をよく見て、その生きざまの美しさ、哀しさ、潔さ、清らかさを色濃く感じて、美しい形にまとまり、その感じたイメージが十全に表現できてはじめて、「いい絵だ」といえるのではないかと思う。」
そして松園の次の言葉のとおりの美人画をわれわれは目にすることができる。「女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清聴な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである」「画を描くには、いつもよほど耳と目を肥やしておかなくてはならないようでございます」「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香りの高い珠玉のような絵こそ私の念願するところのものである」「真善美極致に達した本格的な美人画を描きたい」
松園の天の啓示論「一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります」も傾聴に値する。心したい言葉である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?