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4月27日。佐田の山「お前たちはお客さんに『相撲を見せてやっている』と思っていないか。『見ていただいている』という気持ちで土俵に上がりなさい」

佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 - 2017年4月27日)は、長崎・五島列島出身の大相撲力士。第50代横綱。

1956年初場所に初土俵.1961年初場所に新入幕を果たした。入幕3場所目の夏場所、前頭13枚目で12勝3敗を挙げて初優勝。1963年、出羽海親方の長女と結婚。1965年初場所に3度目の優勝を果たし横綱に昇進。大鵬、柏戸の両横綱と全盛期が重なったのは不運だったかもしれない。

大鵬佐田の山戦は常に大相撲となった。佐田の山が突っ張りで激しく攻める。大鵬は下からあてがいながら応戦し、あと一歩のところで組み止められることが多かったが、敢闘精神あふれる相撲をとった。大鵬に善戦する姿は目に焼きついている。ユーチューブで久しぶりに大鵬戦を何番か見てみたが、闘志あふれる姿は爽やかだ。

「この柱、現在はコンクリート製ですが、私が若い頃は木製でした。部屋での稽古が終わった後、この電信柱に向かって何度も何度もテッポウを繰り返しました。この電信柱が私の基礎を作ったと思っています」「力士たるもの、はがき一枚出すにも着物で行け」

1967年11月場所では12勝3敗で5度目の優勝、1968年1月場所では13勝2敗で連覇を果たしたのだが、3月場所で序盤に3敗を喫するとあっさり現役を引退した。出羽海部屋の名横綱に見られた「引き際の潔さ」という伝統を受け継いだと言われている。

「引退して少しは楽になるかと思ったらとんでもない。ますます大変になった。こんなことならもう少し現役を続けていれば良かった」と後悔する口ぶりだったが、出羽ノ海部屋を立派にマネジメントした。師匠としては、三重ノ海を横綱へ育てたほか、子飼いの弟子からも関脇・出羽の花、小結・大錦、佐田の海、舞の海などの幕内上位力士を多数育成した。

二子山理事長が停年を迎えた1992年からは日本相撲協会理事長を3期・6年にわたり務めた。現役時代に苦杯をなめた大横綱大鵬が理事長にはなれなかったのとは対照的だ。引退後はライバルを圧倒したのである。「見ていただいている」は、力士としての発言ではなく、歴史と伝統ある大相撲を率いる日本相撲協会理事長としての名言である。


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