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「名言との対話」5月21日。弘世現「流れに逆らっちゃいかん。しかし流れに流されてもいかん」

弘世 現(ひろせ げん 1904年5月21日 - 1996年1月10日)は日本の実業家日本生命社長。同社の「中興の祖」と呼ばれた弘世助太郎娘婿

弘世は名門の生まれで、東京帝大を卒業と同時に旧彦根藩の御用商人であった弘世家の婿養子となり、三井物産で16年間を過ごす。その後、日本生命の取締役として転身した。その後44才から1982年まで35年間にわたり社長を務めた。

弘世は社業だけでなく、文化活動にも造詣が深かった。浅利慶太石原慎太郎のスポンサーとして昭和時代を代表する建築物である日比谷の日生劇場を実現させている。ビジネスを行うビルであると同時に劇場としての大空間も必要であるという二律背反を解決するために、設計者の村野藤吾は1階部分を開放し、劇場を上にあげた。商業的には問題はあったのだが、弘世社長の英断であった。

さて、なぜ35年も社長をつとめなければならなかったか。それは高杉良世襲人事』という小説に書いてあった。

長男も同じ商社(三井物産)で課長をしている39歳のときに、本人の意向にかかわりなく、強引に生保に移させる。業界トップの大生保で世襲人事を強行することに息子はアナクロニズムだと異を唱えるが、まわりはほとんどが賛成であった。

この小説では「僕は絹のハンカチやありません」といい、現場の汗は雑巾でふくしかないといわせている。移籍した主人公の息子は、期待にたがわず、活躍を始める。わずか3年で常務に昇格しるまでになっており、その人事は誰もが当然と感じる違和感なき人事だった。息子を社長にする路線は順調であった。ところがその息子が42歳の若さで亡くなるのである。

そして、弘世現は、息子に代わる後継者を見つけることができなくて、社長を34年間つとめたあと、会長、名誉会長として生保業界に君臨していく。高杉良はこの小説の続編『小説・巨大生保王国の崩壊』を週刊誌に連載している。そこでは巨大生保は保守派が台頭していくというストーリになっており、長男の遺児を社長にしようという思惑があったという設定になっている。それが長期政権の内幕だったのである。

「生命保険と言うのは、他の商品と違って効用を直接訴えにくい目に見えない商品なので、これをセールスする苦労は大変なものである。表彰に値する優績セールスマンと言うのは、単に契約高という量的な面ばかりでなく、日常の地道な活動の実態などを加味したものである」
「悪いと思われるものの中でも、時代の価値観の変化によって、新しい生命を持つ良いものがあるかもしれない。経営でもそうした物差しを持たなければ、良いものを発見することはできない」

この小説の中では息子から見ると保守にみえる面があるように描かれているが「日本生命中興の祖」と呼ばれるほどの業績をあげている。弘世現には「経営」についての言葉もあるが、私は、「流れに逆らっちゃいかん。しかし流れに流されてもいかん」という名言を採りたい。「流れ」は不思議なものだ。野球でも一瞬で流れが変わることがよくある。麻雀は流れを見極め、逆らわず打つことが重要だ。政治も風向きをいかに読むかが勢力の盛衰に直結する。人生においても運気の流れは確かにある。そして組織体の運営にも流れがある。運を営むという意味の経営においても、流れの見極めが重要だ。流れに逆らわず、流れに流されず、という弘世現の言葉には経営者としての叡智が感じられる。


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