6月26日。山田方谷 「友に求めて足らざれば天下に求む。天下に求めて足らざれば古人に求めよ」

山田 方谷(やまだ ほうこく、文化2年2月21日(1805年3月21日) - 明治10年(1877年)6月26日)は、幕末期の儒家・陽明学者。名は球、通称は安五郎。方谷は号。備中聖人と称された。

山田方谷は備中松山藩の藩校有終館の会頭・学頭。藩主板倉勝静の教育係。名君と賢臣の名コンビ。元締役・吟味役。暗殺の危険も。板倉は幕末最後の老中首座。8年間で10万両の借金財政から10万両の蓄財へ転換。46歳から藩政改革を断行。質素倹約・借財整理・藩札整理・産業振興・民政刷新・文武奨励。大政奉還の原文を書いたと言われる。明治政府の要職を依頼されるが固辞。池田光政の閑谷学校という日本初の庶民の学校にも出講。6月26日、逝く。

「事の外に立ちて、事の内に屈せず」

「君子は義を明らかにして利を計らず」

学ぶべき師や切磋琢磨する友は、身の回り、次に現在世界、そして歴史の偉人と広げていこう。

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