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「名言との対話」4月6日。桂米丸「弟子は師匠の「鏡」なのだ」

四代目 桂 米丸(かつら よねまる、1925年4月6日 - )は、落語家。

「わが師 今輔のこと」というテーマの噺をする映像をみつけて楽しんだ。かぞえで80歳の時の姿だ。小学校時代から父の落語のレコードを聴いていつの間にか「寿限無」などを覚えてしまった。学校や軍隊ではそのおかげで人気者になった。

旧制東京都立化学工専という高学歴ではあったが、敗戦後落語家になろうと決心し、17歳年上の兄経由で 5代目古今亭今輔に入門する。この師匠のエピソードをいくつも語っていたが、小説家の長谷川伸との会話もよかった。今輔は群馬弁が抜けず落語の江戸弁がうまくできた。その悩みを伝えたところ、「うまくなればそれでいい。味が出てそれが個性になるよ」と言われ、開眼したそうだ。

読了した『落語家 米丸 笑いの引き出し』(うなぎ書房)は、師匠から得た教訓だらけだ。いい弟子であったことがわかる。

1947年 、古今亭今児を名乗る。1949年、師匠・今輔の前名であった桂米丸を襲名し、真打に昇進する。1976年の師匠・今輔の死去に伴い、翌1977年、日本芸術協会(現:落語芸術協会)(芸協)の3代目会長に就任した。米丸はほぼ同時期に落語協会の会長職に24年間あった5代目柳家小さんをいつも目標にしていた。米丸は23年間、会長職にあった。

師匠の方針で「バスガール」など新作落語から出発したこともあり、時代の先端の風俗を取り入れて一世を風靡していく。また桂米丸はテレビ番組の司会やドラマでも活躍したから、その人柄はよく知っている。

この自伝を読むと、師匠の教えがそのまま弟子の教えになっているという感じがする。師匠は真心の人であった。以下、教えをいくつかピックアップ。

・売れている人の真似をしなさい。

・腹が立ったら、一人でお酒を飲んで寝ちまうことです。怒りのエネルギーは芸にぶつけることです。

・上にハマろうとしてヨイショするより、下に厚くしなさい。

・人間ほめられたら注意することです。

・みんなに評判がよくないと駄目なんです。

弟子は師匠の「鏡」なのだ。一字一句同じように繰り返すのが稽古だから、結果的に、教えた本人の欠点もみせてくれることになる。弟子に稽古をつけることが自分の勉強になるのだ。弟子に教わるとはこういうことだとわかったと米丸はいう。教えることは学ぶことであるとはよくいわれることだが、落語の師弟関係はその極致だろう。

桂米丸は本日で96歳。活動を継続している落語家としては最年長であり、いまなお寄席を中心に活動を続けているという。

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