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4月17日。宮崎輝「夢のない企業には、進歩も成長もない。盆栽経営ではやがて枯れる」

宮崎輝(みやざき かがやき、1909年(明治42年)4月19日 - 1992年(平成4年)4月17日)は、昭和・平成期の企業経営者。

宮崎が就職した時代は鉱山関係が人気が高かった。しかし新しいものを創造していく化学工業のパイオニアである日本窒素(旭化成工業の前身)に入る。ところが仕事が面白くない。3年目であきらめる。そして「この会社における法律問題の第一人者になろう」と決意し勉強を始める。「自分で問題をつくり、その問題を解決していかなくてはいけない」「仕事を創造し、その問題を自ら解決していくのがビジネスの基本である」と考えた宮崎は、一時間早い出社を続け、次々と問題、難題を解決していく。

13年経って取締役、24年で専務、27年後には社長に就任し、25年間という長期政権となった。宮崎輝は旭化成中興の祖と呼ばれた。旭化成を代表するマラソンの宗兄弟の誕生には宮崎が関わっている。

1985年まで社長で、その後に会長をつとめている。その時代、宮崎は名前の通り、輝いていた。若いビジネスマンであった私は多くの経済雑誌でこの人の「仕事」に関する言動に触れる機会が多く、実務をこなす中で参考にしたものだ。「素質を追い抜くことができるのは、努力だけである」というような、仕事をする上での心構えは、いつの時代も変わらない真実である。

一方、トップとしての名言にもいいものがある。

・トップに立つ人は、第一線の「名課長」をたくさんつくるように努力すべきだ。、、名課長とは、常に新しい問題を発見しながら、その対応を考えて、仕事を進めていく人である。

・社長は、普通の役員とは、一オクターブ違っていなくてはいけない。

・どんな企業も、健全な赤字部門を持っていなくてはいかん。

生涯にわたって学習を続けるマラソンランナーだった宮崎輝。「盆栽経営」とはよく言ったものだ。それは大きさの決まった容器の中で、手入れの生き届いた枝ぶりを経営者が愛でる姿というものだろう。木というものは、盆栽のようないびつな制約された空間で育つよりも、大地に大きく深く根を張ることで人が見上げる大木になることができるのである。夢をみることが成長と進歩を促すのである。盆栽人生で終えてたまるか。

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