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「名言との対話」7月21日。遠山元一「だまされる幸福」

遠山元一(とおやま げんいち 1890年7月21日ー1972年8月9日)は、日本の実業家。日興証券創業者。

埼玉県川島町出身。豪農の家に生まれたが、実家が没落し、高等小学校を出るとすぐに東京に奉公に出される。15歳で兜町の株式仲買の半田商店に入る。1918年に独立し川島屋商店を創業。第一次世界大戦の好景気とバブル崩壊、昭和の金融恐慌を乗り切っていく。1944年には日興証券と合併し、初代社長に就任した。

戦後、米国証券市場視察団を結成し、他の証券会社の幹部とアメリカが大衆による株式投資の様子を知る。遠山は後に日本証券業協会連合会の会長となる。

酒もたばこもやらないが、美術品の収集という趣味を持っていた、苦労した母親のために建てた故郷の近代和風建築(国の重要文化財)が遠山記念館となっている。収集した美術品のコレクションが展示されている。源頼朝の自筆の書状、一遍上人を描いた絵巻、黒田清輝の日本最古級の裸婦像などがある。

東京証券取引所経団連東京商工会議所、日本証券連合会などさまざまの要職を歴任し、「株屋」といわれた証券界の近代化に奔走している。一介の小僧から出発した遠山は、いつしか「兜町天皇」と呼ばれるようになったのだ。

自伝『兜町から』に「だまされる幸福」というエッセイを書いている。義理人情にほだされることはやむを得ないという悟りがある。遠山はだまされることをむしろ誇りとした。だますよりもだまされるほうが後味が悪くない。だまされることは不名誉なことではない。人情家であったのだが、こういう相場師も珍しい。だから実際よくだまされたが、その姿勢が慕われることになった。

長男の回想によれば「自分に万一のことがあったら、そういう精神だけは受けついでくれ」と言われている。そういう精神とは「だまされることはあっても、人をだますことはしなかった」ということである。

生き馬の目を抜くといわれる株屋界、証券界に、人情、倫理、道徳を説く遠山元一のようなリーダーがいたことは、この業界の僥倖であったと思う。「論語と算盤」を主義とした日本資本主義の父・渋沢栄一を思いだした。遠山は証券界の渋沢だったと総括しておこう。

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