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5月24日。大場みな子「結婚生活を退屈させない唯一の方法は、双方が全力をあげて伸びようとすることである」

大庭 みな子(おおば みなこ、1930年11月11日 - 2007年5月24日)は日本の小説家。

敗戦の夏、原爆後の広島市に救援隊として動員される。19歳で夫になる大場利夫と出会う。津田塾大学卒業後、25歳で結婚。小説を書き続けることが条件だった。29歳、夫の赴任先・アラスカで本格的に執筆を始める。11年間の滞米中にアメリカ各地を旅する。32歳、ウイスコンシン州立大学の美術科、大学院生としてマジソンに住む。38歳、アメリカの市民生活を描いたデビュー作『三匹の蟹』で、群像新人文学賞・芥川賞を受賞した。40歳、アラスカを引き揚げる。41歳、夫と共にインド、アフリカ、欧州、南米、カナダを旅する。42歳、東南アジアに旅。43歳、アメリカオレゴン州に滞在。46歳、アラスカを訪問。47歳、スコットランドを旅する。48歳、沖縄、八重山諸島を旅する、欧州諸国をめぐる、韓国を旅する。49歳、オレゴン州に交換教授として3か月滞在。50歳、アイオワ大学に滞在し、アメリカ各地を旅する。53歳、スウェーデンを訪問。54歳、中国を旅する、バリ、ジャワを旅する。56歳、中国を2度訪問。60歳、夫と共に欧州諸国を旅行。63歳、渡米しラトガース大学等で講義、ドイツのケルンで朗読会。64歳、ケンブリッジの英国作家会議に出席。65歳、シアトル旅行、日中文化交流代表団として訪中。69歳、アラスカを訪問。72歳、ハワイ旅行。76歳、夫に見守られながら逝く。

1968年 - 『三匹の蟹』で群像新人文学賞・芥川賞。1975年 - 『がらくた博物館』で女流文学賞。1982年 - 『寂兮寥兮(かたちもなく)』で谷崎潤一郎賞。1986年 - 『啼く鳥の』で野間文芸賞。1989年 - 「海にゆらぐ糸」で川端康成文学賞。1991年 - 『津田梅子』で読売文学賞(評論・伝記部門)。1996年 - 『赤い満月』で川端康成文学賞(二度目)。2003年 - 『浦安うた日記』で紫式部文学賞。以上は華麗なる受賞歴である。1987年から河野多惠子と共に芥川賞初の女性選考委員となり、1997年まで務めた。1991年、日本芸術院会員、その他日本ペンクラブ副会長、女流文学者会代表などを務めた。

1996年に66歳で脳梗塞で倒れ、左半身不随で車いす生活になった。その後は夫の協力を得て、口頭筆記で著述を行っていた。夫の利雄は、この介護を題材とした手記「終わりの蜜月」を発表している。全集は生前と死後の2回出ている。全集には「絶えず自然の営みと生命力や、生き物の性を意識しつつ現代と神話・古典の世界を往還して文学の根源を刺戟しつづけた女性作家」と紹介されている。

「幸福な結婚というのは、いつでも離婚できる状態でありながら、離婚したくない状態である」「結婚における友情は必要条件ではあるが、十分条件ではない」

大場みな子の人生を眺めると、常に夫が寄り添っていることがわかる。小説を書き続けることを条件とした結婚、機会をとらえて外国旅行敢行し見聞を広めて成長していく姿、闘病生活の中でも口述筆記という夫の協力で執筆を続けていく、最後は夫に見守られながら去っていく。夫が仕事の中で伸びていくのは当然であるが、妻である大庭みな子もチャンスを縦横に使って自身を成長させていく。「全力をあげて」という言葉に強い意志を感じることができる。この人の小説には縁がなかったが、生き方に興味を持った。人生観が如実に出るエッセイも読んでみたい。

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