「名言との対話」1月24日。平賀源内「ああ、吾、あやまてり。あたら小才と奇智におぼれ、お江戸の風に浮かれだこ」
平賀 源内(ひらが げんない、享保13年(1728年) - 安永8年12月18日(1780年1月24日))は、江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。
画号は鳩渓きゅうけい、俳号は李山りざんや、戯作者としては風来山人ふうらいさんじん、浄瑠璃作者としては福内鬼外ふくうちきがいの筆名を用いた。殖産事業家としては天竺浪人てんじくろうにん、生活に窮して細工物を作り売りした頃には貧家銭内ひんかぜにないなどといった別名も使っていた。
平賀源内を形容する言葉は実に多い。神童。天狗小僧。才気の人。諧謔の人。千里の駒。戯作者。夢見人。起業家。天才。奇才。、、。これら聞いただけで、源内の姿が浮かんでくるようだ。
2013年に香川県讃岐市の平賀源内記念館と平賀源内旧邸、薬草園を見学した。この平賀源内記念館には源内の逸話を多く展示していた。平賀源内旧邸や薬草園でこの多彩な才能をしのんだことを思い出す。
源内はあまりも直感力が優れていた。そして好奇心が強く、森羅万象に関心があった。そのため地道に本質を極めようとする努力をしなかった。最後は殺傷事件で入牢することになり、獄死する。平賀源内という存在とは何だったのか、やはりこういう疑念が起こってくる。源内は華やかな才能を使いつぶした、ともいえるのではないだろうか。
これほどの才能があった源内にして、なお、最晩年の鬱屈があった。「ああ、吾、あやまてり。あたら小才と奇智におぼれ、お江戸の風に浮かれだこ」は、翔べなかった己を愧じた言葉である。この言葉は小中陽太郎の名著『跳べよ源内』(平原社)にある。異能の持ち主の波乱の人生と彼を取り巻く個性豊かな人々、そして江戸の田沼時代の空気を書いた書だが、この言葉は天が与えた才能におぼれた平賀源内の悔恨をあらわしているように聞こえる。
小中陽太郎『翔べよ源内』(平原社)を読んだ。平賀源内という異能の持ち主の波乱の人生と彼を取り巻く個性豊かな人々、そして江戸の田沼時代の空気がよくわかる傑作だ。
讃州高松藩の最下級の武士の家に生まれた源内は、本草学・薬草に深い関心を持つ藩主と親しくなるが、広い世界を見たいと暇をもらおうとする。藩主の答えは自由は与えるが、他に就職してはならないという「仕官御構い」の宣告を受ける。このため源内は大きくは跳べなかった。
著者の小中陽太郎は若い頃にNHKから脱藩した経歴を持っており、市民運動、執筆、などの仕事で世の中を渡る人物だが、この源内の人生に関心を寄せている。歴史の中に自らのモデルを求めるといういことだろう。この本を読みながら、小中は源内そのものだと何度も思った。
源内という人物を表す言葉を抜き出そう。才気の人。諧謔の人。。千里の駒。戯作者。須原市兵衛。夢見人。起業家。天才。奇才。、、。
ネットワーカー源内を取り巻く同時代の人々を抜き出そう。杉田玄白。前野良沢。田沼意次。青木昆陽。小野田直武。司馬江漢。塙保己一。酒井抱一。太田蜀山人。工藤平助。滝沢馬琴。田沼意次。、、、
この源内にして、最晩年の鬱屈があった。翔べなかった己を愧じた言葉である。それが「ああ、吾、あやまてり。あたら小才と奇智におぼれ、お江戸の風に浮かれだこ」である。
2014年。日本作家クラブは、小中陽太郎に第1回野村胡堂文学賞を授与した。その受賞パーティに出席した。野村胡堂(1882−1963年)が初代会長の捕物作家クラブが前身。小説家・挿絵作家・評論家など200数十名が参加している一般社団法人。野村胡堂は「銭形平次」を書いた人気作家で、「あらえびす」の名での音楽評論でも名高い。東大を中退し知新聞に入社し調査部長・学芸部長。銭形平次は水戸黄門と並ぶ人気があった。
審査委員長の奥本大三郎挨拶。「吉田茂首相の愛読書が銭形平次。胡堂は仏文のインテリ。同じ大仏次郎も鞍馬天狗を書いている。小中さんも仏文の教養人。源内は理系と文系の両道の人。源内の無念がよく出ている作品」
小中陽太郎先生の挨拶。「子供の頃は、鞍馬天狗、銭形平次、ロビンソン・クルーソーが愛読書。源内は戯作に憂さ晴らした。神田明神に銭形平次の碑がある。胡堂は19歳で新渡戸稲造から受洗したクリスチャン」
井出孫六「55年前に編集者として胡堂に会ったことがある。『翔べよ!源内』は題材が小中さんにふさわしい。源内のことを足で歩いてよく取材している」。
2000年10月23日の朝日新聞で、この1000年で最も傑出した科学者は誰かという面白い企画があり、読者の人気投票を行っている。1.野口英世 2.湯川秀樹 3.平賀源内 4.杉田玄白 5.北里柴三郎 6.中谷宇吉郎 7.華岡青洲 8.南方熊楠 9.江崎レオナ 10.利根川進。平賀源内は杉田玄白を抑えて堂々の3位である。
源内は、近代の曙の文化文政の人でもない。江戸中期の人であるが、科学だけではなく様々の面で、尋常ならざる鬼才を発揮して、日本の近代の先鞭をつけた人である。この人は才の人であったが、徳の人ではなかったようである。最後は、獄死している。
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