10月2日。良寛「災難にあう時節には災難にあうがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これは災難をのがるる妙法にて候」

 良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。

曹洞宗の良寛和尚は越後出雲崎に生まれ、光照寺玄乗に従い得度し、大愚良寛と称する。のち備中玉島円通寺国仙の法を嗣ぐ。その後二十数年間諸国を行脚し、奇行に富んだ飄逸の生活を送る。万葉風の和歌及び書風は天衣無縫で高い評価を得た。

「うらをみせ おもてを見せて ちるもみじ」

「形見とて何かのこさん春は花 山ほととぎす秋はもみぢ葉」

「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞわれはまされる」

「この宮の木(こ)したに子供等と遊ぶ夕日は暮れずともよし」

「風きよし月はさやけしいざともに踊り明さむ老いのなごりに」

「歌もよまむ手毬もつかむ野にいでむ心ひとつを定めかねつも」

「散る桜 残る桜も 散る桜」は、太平洋戦争の特攻隊の心情になぞらえた歌として有名だった。これには良寛は不本意だろうが、決死の行動に勇気を与えた歌だ。精神医学の土居健郎がもっとも惹かれる人物が良寛であると吐露しているように、ファンが多い。「アララギ」の島木赤彦は「良寛さま」という童謡を書いている。「山を下った良寛様は 村の子どもとまりついていたが 山に帰った良寛さまは 寺に一人で寂しかろ」

冒頭に掲げた言葉は、1828年の新潟三条の大地震で子どもを亡くした俳人・山田杜皐(やまだとこう)に17歳の良寛が宛てた見舞の一文である。自然のままに生きようという。災難にあったらあったら災難にあう。死ぬときは死ぬしかない。あるがままに受け入れて、自分ができることをしよう。良寛の辞世の歌は「いにしへいかはらぬものはあり みそとむかいみゆるさどのしまなり」である。毎日の生活と佐渡島の風景は変わることはない。時節と摂理を受け入れて生きる心の大事さを良寛和尚は教えてくれる。

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