12月22日。神永昭夫「人並みにやっていたら、人並みにしかならない」

神永 昭夫(かみなが あきお、1936年12月22日 - 1993年3月21日)は日本の柔道家(講道館9段)。

全日本選手権を3度制した神永は、ライバル猪熊功と1960年代初頭に神熊時代を築いた。柔道がはじめて採用された1964年の東京オリンピックでは無差別級に出場するも、決勝戦でオランダのアントン・ヘーシンクに敗れて銀メダルに終わった。母校の明治大学柔道部監督に就任し、上村春樹を育てあげた。1976年のモントリオールオリンピックで、上村が無差別級で金メダルをとる。その上村は、1978年の第1回嘉納治五郎杯の決勝で山下泰裕にやぶれ、引退を決意する。上村は後に第五代講道館館長となり、日本柔道界を牽引している。

「敵に勝つには、まず、負けないことだ」

「全力を尽くしてやりました。それで負けたのですから、自分としては悔いはありません」。1964年の東京オリンピックの無差別級で、オランダのヘーシンクに敗れたときの記者会見で神永が語った言葉である。神永は日本柔道の敗北という批判にさらされた。当時中学生だった私もこの敗戦に衝撃を受けたことを思い出す。実は試合直前に左膝の靭帯を断裂していたという。

東北高校時代から柔道を始めた遅い出発の神永は猛稽古で精進を重ねた。確かに「人並みにやっていたら、人並みにしかならない」。神永の残した言葉をみると、明治大学柔道部監督として後進を育てたように、教育者的資質にあふれた柔道家であり、「勝負はいつでも負けから始まる。弱さを知ったときから技の工夫が始まるんだ」との言葉どおり、神永、上村、山下、、へとつながる柔道界の道筋をつけた功績には大きいものがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?