「名言との対話」12月17日。相田みつを「仕事はなんでもいい 一生けんめいに生きている人の顔はみんな美しい 美しい顔になりたい」

2016年には、以下のように相田みつを取り上げている。

「名言との対話」12月17日。あいだみつを。「いま ここ じぶん その合計が じぶんの人生」。相田 みつを(1924年5月20日 - 1991年12月17日)は、日本の詩人・書家。

平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。「仕事はなんでもいい 一生けんめい生きている人の顔はみんな美しい 美しい顔になりたい」「どうでもいいものはどうでもいいんだよ いちばん大事なことに一番大事ないのちをかけてゆくことだ」「いつどこでだれとどんな出逢いをするか それが大事なんだなあ」

冒頭の言葉は、人生とは結局、自分は今ここで何をしているか、その一生の合計のことだと喝破するあいだみつをはさすがである。時間軸の中での一瞬、毎日。空間軸の中での自分のいる場所、その交点で何かをしている自分という存在。その蓄積を一生というのだ。心したい言葉だ。

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それから4年経った。相田みつを美術館には、銀座にあった時代、そして移転した東京国際フォーラムには何度か訪れているし、そこで手にした本も読んでいるので、以下を追加する。

若き日には、故郷足利市の老舗菓子店「虎谷」のミートサブレ(命名者も相田で「逢」のMeetが由来で)などの、包装紙や栞のデザインも手がけた。ろうけつ染めや地元商店からデザインを請け負うなどして生計を立てていた。

書の最高峰のひとつとされる毎日書道展に1954年から7年連続入選するなど、技巧派の書家として出発した。「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになり、三十歳のころ、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書く作風を確立した。

短歌と禅と書を学んだ相田みつをは「にんげんだもの」(文化出版局)を60歳で出版する。この本は編集者がいずれミリオンセラーになりますよ、と言っていた通り多くの人が手に取った。

以下、相田みつをの言葉から。「いま ここ じぶん その合計が自分の人生」「仕事はなんでもいい 一生けんめいに生きている人の顔はみんな美しい 美しい顔になりたい」「いつどこでだれとだれがどんな出逢いをするかそれが大事なんだなあ」「どうでもいいものはどうでもいいんだよ いちばん大事なことに一番大事ないのちをかけてゆくことだ」「本人本当本物 本心本気本音 本番本腰 本質本性 本覚本領 本の字のつくものはいい 本の字でゆこう いつでもどこでも 何をやるにも」。「技術で人を感心させることはできるが、感動させることはできない」「どうでもいいものは どうでもいいんだよ いちばん大事なことに 一番大事ないのちを かけてゆくことだ」「雨の日には 雨の中を 風の日には 風の中を」「道は自分でひらく 人のつくったものは 自分の道とはならない」「あのねえ 自分に エンジンを かけるのじゃ 自分自身なんだ からね」「禅宗のお坊さんは自分が修行して得た心境を「詩げ」(しげ)という漢詩の形式で表現する。国語版の「詩げ」、これが私の詩です」「仕事はなんでもいい。一生けんめいに生きている人の顔はみんな美しい。美しい顔になりたい」

息子の相田一郎さんの観察がある。「もし、自分が若いうちに世に認められていたらどうだっただろうか。力もないのにちやほやされて、あっという間にダメになってしまっただろう」。「書は余白の芸術」とミリ単位で切り取りの寸法を決めていた。「数ミリに命をかけているんだ」。必ず最上質の筆、墨、紙を使った。練習という概念はなく、何百枚と書いた中から最上の一作を選び、他はすべて燃やした。「世の中に必要なものであれば、どういう形であれ、残っていく。必要ないと判断されれば残らない。」だから美術館とか記念館を作ろうなんてゆめゆめ思うなよ、一人さんはとクギを刺されていた。しかし、実物を見たいという問いかけが多く、美術館を開設してしまう。

著名人の座右の銘にもなっている。「そんかとくか 人間のものさし うそかまことか 佛さまのものさし」 南部靖之(パソナ代表取締役グループ代表)。「一生燃焼、一生感動、一生不悟」 常盤百樹(ときわももき、四国電力社長)。「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」 野田佳彦(元首相)。「出会いが人を変え、感動が人を動かす」NAOTO (EXILEのパフォーマー)、、、、。

NHK人物録(NHKアーカイブ)では、足利市高福寺の住職・武井哲應老師との出会いを語っていた。師弟関係は40数年にわたり生き方に決定的な影響を与えた人だ。師からは「自分の心の中で、あるいは口の中でかみ砕いて完全に自分のものにするまではしゃべっちゃいかん」と厳しく教えられたそうだ。それが独特のやさしい言葉になって、人々の共感を呼んだのだ。

相田みつをは、60歳で代表作『人間だもの』を処女出版する。予言のとおり後にミリオンセラーになる遅咲きの人だが、残念なことにそれを知ることはなく、67歳で没している。50冊近い「相田本」はロングセラーを続け、累計1,000万部に迫るとされている。相田みつをの言葉と書は、今もなお多くの迷える人たちに希望を与えている。

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