3月11日。上杉鷹山 「為せばなる為さねばならぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」

上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) / 上杉 治憲(うえすぎ はるのり)(寛延4年7月20日(1751年9月9日)- 文政5年3月11日(1822年4月2日))は、江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩の第9代藩主。

上杉鷹山は新規事業の振興、技術開発、人事組織改革、教育改革などを断行し、経済的に破たんをきたしていた米沢藩を蘇えらせた名君である。内村鑑三の「代表的日本人」でも西郷や中江藤樹などと並んで紹介されている。ケネディ大統領が鷹山を尊敬していたのは、この本を読んで鷹山を知ったからだ。また西郷隆盛が尊敬した人物としても知られている。4月2日、鷹山死去。

窮乏する藩財政をみて「受けつぎて国のつかさの身となれば忘れまじきは民の父母」と藩主こそが領民の父母との自覚で大倹約令をだした。自ら木綿を着用、一汁一菜、藩主の諸費用1500両を209両に削減、奥女中50余人を9人に減じた。大改革であった。老臣の江戸老中への強訴には重罪に処して政策を実行していった。

武田信玄が「為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人の儚さ」という、よく似た歌を詠んでおり、上杉鷹山の言葉はこれを変えていったものといわれる。

上杉鷹山の「してみせて言って聞かせてさせてみる」を後の山本五十六元帥は「やってみせ、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かず」と変えている。上杉鷹山は今日の行政改革にもたびたび登場するように、古今、そして東西にわたって多くの人に影響を与えている。

やればできる、やらないからできないのだ。やろうとしないから、やれないのだ。単純明快なメッセージだ。

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