6月18日。 氏原暉男「ソバを知り、ソバを生かす」

氏原 暉男(うじはら・あきお 1934年ーー2013年6月18日)は、そば研究者。

1960年、京都大学大学院修士課程修了後、京都大学助手、科学技術庁放射線医学部総合研究所客員研究員などを経て、1967年に信州大学助教授。ソバの栽培、品種改良の研究に専念する。1983年に信州大学教授となり、同大学高冷地農業実験実習施設長などを歴任。

1992年、世界そば博覧会を開催し、世界10カ国から参加があった。一ヶ月の開催期間に14万人が訪れた。総事業費6.7憶円電話黒字になった。1995年には第6回国際ソバシンポジウムを信州大学で開催し、世界26ヵ国から70人が参加した。

1999年の退官直後に国際協力事業団長期専門化としてミャンマーの中国国境地域の麻薬撲滅計画に従事する。ケシ畑をそばに換えるプロジェクトだ「。2003年に任期を終了。

2005年、NPOアジア麻薬・貧困撲滅協会を立ち上げて理事長となる。全国麺類文化地域間交流推進協議会顧問、長野県そば工業技術研究会顧問としても活躍した。

蕎麦という文字は、実に角ばった3つの稜がある形状に由来している。「蕎」にはそそり立つという意味がある。そそりたった麦、そばだつ麦である。ソバという穀物は、成長が早く、農薬不要など手間がかからない、吸収能力が高くやせ地でも育つという特徴がある。挽き立て、打ち立て、ゆでたての「三立て」がうまく食べるコツだそうだ。私はずっと秩父の「こいけ」のソバのファンであった。日本最高の味のこの店は今はない。

氏原は農水省に4品種を新品種登録している。10年がかりで開発した信州大そば、赤い花を咲かせる高峯ルビー、赤い実をつけるグレートルビー、ルチンの含有量が多いサンルチンである。ソバ学を極めたソバ博士の氏原暉男は、ソバの遺伝・育種学の研究から、ソバの栽培、品種改良から始まって、長野県戸隠村、福島県山都町、広島県豊平町、北海道幌加内町、長野県飯田市、長野県松本市、など国内各地の地域づくりに関与した。そして、ミャンマー、ネパール、タイ、中国、モンゴル、インド、カナダなどの国際地域おこしにまで力を貸している。研究者として、ソバを知るだけでなく、成果を携えてソバを生かす一筋の道を歩んだ。その情熱とロマンには頭がさがる。


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