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4月29日。 長谷川保「神様から使命を受けた者が、使命を果たさずに死ぬことは絶対ない」


長谷川 保(はせがわ たもつ 、1903年9月3日 - 1994年4月29日)は、日本の福祉事業家、教育者、政治家。

静岡県浜松生まれ。浜松商業学校卒業後、上京しブラジルに渡りコーヒー農場を経営し大金持ちになるつもりだった。内村鑑三『来世と復活』を読んでいるときに「永遠の生命の世界がある」ことを知り、その直後に「日本民族の救いのために働け」という神の声を聞いた。天命であった。
1926年、聖隷社クリーニング店、聖隷社農場。聖隷社を創業し、生涯を無一物、無報酬、神の奴隷となって、病人その他の助けを必要とする人々に奉仕するキリスト教社会福祉事業に貢献することになった。1930年、結核患者の収容を開始する。それが現在の社会福祉法人聖隷福祉事業団の母体となる。1946年、戦後初の総選挙で衆議院議員に当選し、以後7回当選し、社会保障制度確立のために尽力する。
長谷川保は、寝たきり老人施設、老人世話ホーム、末期がん患者のためのホスピス(緩和ケア病棟)などを日本で初めて創設した。医療、教育、社会福祉、老人福祉などの分野で、多くの新生面を切り開いた。
長谷川保のことは知らなかったが、『聖書における 愛の実践』を読み、この人の姿勢と思想、そして人生に感銘を深くした。印象的だったのは、「神様から使命を受けた者が、使命を果たさずに死ぬことは絶対ない」という確信を持ち、次々と襲ってくる難題に立ち向かう姿勢である。以下のように、苦境に陥った都度、神の恵みが降ってくるという不思議なことが起こる。

・肺結核にかかるが、必ず治ると確信し、克服する。

・樺太、北海道、九州、台湾まで全国各地から結核患者が入所を希望して来て困り果てたときに、渡辺兼四郎医師から千円の寄付がある。 ・迫害を受けて他の土地に移ろうと賀川豊彦に相談しイエス友の会の大会で、ベテルホーム(神殿)のために話をし、一坪献金運動が始まり三方原の県有林の払い下げを受ける。 ・「家をください」と祈ると、兄の金鵄勲章の年金を寄付するから記念館として病院を建ててほしいとも申し出がある。 ・天皇陛下からの御下賜金5千円をいただく。市長らが市民からの寄付金を10倍集めてくれた。10年続いた迫害がやむ。

敗戦で800万人が餓死するとの予測があり、政治を動かして救おうと戦後初の総選挙で出馬し、日本社会党の議員に当選する。公職追放で不遇の時期は聖隷福祉事業団という日本最大の福祉事業の基礎を築く。議員在院中の1963年、老人福祉法が成立する。特別養護老人ホームの制度ができた。1988年にオープンした「佐倉ゆうゆうの里」も長谷川の仕事だった。この施設ができたとき、当時佐倉に住んでいた私は見学し、感心したことがある。

長谷川保は生涯私的財産を持たないというポリシーを貫き、病院敷地内のバラック小屋に住み続けた。遺言で、死後も墓を作らず、浜松医科大学に妻・八重子とともに献体する。骨格標本は聖隷クリストファー大学内の聖隷歴史資料館でみることができる。

意志と気骨の人・長谷川保が「教育と医療と福祉は、信仰によって具体化された愛(アガペー)の三つの型で、キリストが宣べ伝えた福音の中味である」とし、1930年にわずか数人で始めた社会福祉法人聖隷福祉事業団は、医療、保健、福祉、介護の4分野で、155施設・352事業(2019年4月現在)を展開し、職員数は1500名(2019年2月現在)を超え、サービス活動収益は1136億円(2017年度)になっている。これはやはり、神の事業であったのだろう。

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