7月10日。井伏鱒二 「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」

井伏 鱒二(いぶせ ますじ、1898年(明治31年)2月15日 - 1993年(平成5年)7月10日)は、日本の小説家。本名は井伏 滿壽二(いぶし ますじ)。広島県安那郡加茂村(現・福山市)生まれ。筆名は釣り好きだったことによる。7月10日、95才で没。

各地の人物記念館を訪ねると、井伏鱒二が旅した痕跡が残っていることを感じることがある。小栗上野介の墓と資料館がある安中榛名の東善寺には、昭和53年6月10日の井伏の記念植樹があった。河口湖の御坂峠の峠の茶屋の太宰治文学記念室には、滞在している井伏に会いに傷心の太宰治が訪ねてきてしばらく暮らしていた。そのときのことは「富嶽百景」に太宰自身が記している。井伏鱒二は旅の作家であった。

その太宰治が井伏鱒二と二人が将棋を指しているところに、若き石井桃子が「ドリトル先生」のゲラを持ってやってきた。後で太宰は井伏に橋渡しを頼むが断られる。太宰が自殺したときに記者が「もしも太宰治と結婚していたら、、」と訊くと、石井桃子は「私がもしあの人の妻だったら、あんなことはさせません」と語ったという。

井伏は一日の打ち何時間かは必ず机の前に座ることを自分自身に義務づけていた。「ぼくは物が書けない時、ハガキや手紙を書くことにしているんだ。筆ならしが終わると、ポンプの呼び水のように筆のすべりがよくなる」。

明治生まれで95才まで書き続けたこの作家は、多くの人との別れを経験している。于武陵に「酒を勧む」という漢詩がある。「君に黄金の杯を勧める このなみなみと注がれた酒を断ってはいけない 花が咲くと雨が降り、風も吹いたりするものだ 人生に別離は当然のことだ」。この漢詩を井伏鱒二は「この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と名訳した。友に発した「今を、この時間を大切にしよう」というメッセージである。

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