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「名言との対話」12月28日。 坪内寿夫「少数にしたら精鋭になるんや」

坪内 寿夫(つぼうち ひさお、1914年9月4日 - 1999年12月28日)は日本の実業家。

満鉄、シベリア抑留を経て、戦後は映画館経営から始める。1953年、現在の新・来島ドック社長。1978年、佐世保重工業社長。 倒産寸前の企業を数多く再建させた手腕から、「再建王」と呼ばれた。 一代で造船・海洋を中心とした来島グループ(来島ドックグループ)とも呼ばれる180社を超える巨大企業群を作り上げ、「船舶王」「四国の大将」とも称された。

徹底した少数精鋭の「コスト削減」と「信賞必罰人事」だった。佐世保重工では460人の管理職を37人に減らした。230あった課を8に減らした。「少数にしたら精鋭になるんや」と組織改正をいっぺんにやった。そしてだんだんに上がっていくエスカレータ人事ではなく、タテに急上昇急下降する「エレベーター人事」 を断行した。

坪内は日本一の経営者になるという野心を持っていた。率先垂範し、質素にし、信用を得るという型の経営者を目指した。銀行、部下、お得意さんの信頼を得るために、給料、賞与はとらず、配当もいらない。ただ全株を持ってワンマンでやる。しかし日常生活は質素そのものだったから皆信用した。「坪内さんは政商ではなく、清商であった」と愛媛県知事の加戸守行も語っている。珍しい経営者だ。

以下、『坪内寿夫対談集 夢つきることなし』(角川書店)から拾った坪内語録。

「斜陽でも生き残ればいい会社になるわけです。現状打破をやって、少数精鋭でやれば、だいたい生き残れる」「泥をかぶって率先垂範するのが、経営者の務め」「幹部は少ないほうがいい。これは鉄則です」「社員に働く喜びを自覚さす教育が必要なんじゃ」「会社に入ってからが本当の勉強で、勉強してもらわんと勝てんのですわ」「だめな会社じゃから、みな欠陥がある。それを根気よく直していく」「率先垂範する以外にない」「誠意を示していく。そのためには自分を犠牲にしなくてはいかん」「成功するまで金を注ぎ込んでやるんじゃから、これは成功しますよ。、、個人財産があるからできる」「四国の国鉄を俺に任せれば5年で黒字にしてみせる」

この人物には作家たちが興味を持つようで、多くの小説の題材になっている。柴田錬三郎『大将』、落合信彦『戦い、いまだ終わらず』、高杉良『小説会社再建-太陽をつかむ男』、半村良『億単位の男』、青山淳平『夢は大衆にあり~小説・坪内寿夫』、佐伯正夫『坪内イズムの真実を今 再建人生ここにあり』。2018年にはホテル奥道後・壱湯の守内に、「奥道後坪内記念館」が開設されている。

精鋭を少数集める、そんなことはできるはずがない。やはり手持ちの駒を使うしかない。そのときは人を減らし、少人数で仕事をこなすようにする。そうすると精鋭になっていく。日本初の植民地・台湾を9年で黒字にした後藤新平も徹底した組織の簡素化と人員の大削減を断行している。私も似た経験がある。30代で上下二人でやっていた労務の仕事を若い私が上司から任されたことがある。一人ですべて判断しなくてならないから真剣になった。また40代になって経験不足の部下を多数抱えたことがある。このときは仕事を猛烈に増やして、それぞれを責任者にしたら、のんびりしていた部下たちも働きだした。公然の秘密である「率先垂範と少数精鋭」の坪内イズムには共感する。

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