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「名言との対話」(平成命日編)9月19日。塩川正十郎「母屋でおかゆを食べておるのに、離れではすき焼きを食っておる」

塩川 正十郎(しおかわ まさじゅうろう、1921年(大正10年)10月13日 - 2015年(平成27年)9月19日)は、日本の政治家。衆議院議員を11期務める。

衆議院議員を11期つとめる。福田派に所属。運輸大臣、文部大臣、自治大臣、内閣官房長官をつとめる。75歳でのまさかの落選。以来3年8ヶ月の間、捲土重来を期し1万戸の訪問を決意し、濃密なスケジュールでどぶ板活動を展開。79歳で当選。そして小泉内閣の財務大臣をつとめた。塩爺(しおじい)と呼ばれて親しまれたが、一方で内閣の重しとして存在感を示した。82歳で引退。83歳、東洋大学総長に就任し、他界するまでつとめた。1980年に運輸大臣に就任した塩川は就任会見で「関西国際空港」に取り組むと発言した。私もJAL時代に、塩川運輸大臣の動向に注目していた。

2009年、88歳『ある凡人の告白』を上梓する。この自伝を読んだ。中選挙区時代は訓練された政治家が育ったが、小選挙区に時代になって当選を先行する政治屋が増えた。小泉政権は閉塞感を打ち破たっという功、格差拡大と地方の疲弊という罪があった。あと5年やっていれば罪の部分も解消した可能性がある。こういう見立てである。また、この本を書いた2009年時点では、日本を消極的な自己満足主義に陥っていると心配している。

「引退後の)ロスタイムを大事に使いたい」と言った塩川正十郎は、他界するまで東洋大学総長として活躍する。 2014年。白山の東洋大学井上円了(東洋大学の創立者。哲学者)を記念博物館を訪問したことがある。あいにく閉まっていたが、キャンパスの建物群の前に塩川正十郎氏の銅像があった。塩川は白山キャンパス再開発事業を決定し、平成17年に文系五学部の白山キャンパスを完成させているなど、東洋大学の中興の祖という碑文があった。

この本の冒頭に写真と一緒に、後漢書の王覇伝にある「疾風は勁草を知り、日久しくして人心を見る」という言葉が記されている。激しい風が吹いてはじめて丈夫な草が見分けられる。つまり、苦難にあってはじめて、人の節操の堅さや意志の強さが分かるという意味だ。近々「勁草塾」という勉強会で講演をすることになってるのだが、本日その意味がわかった。

選挙区制度では「能臣も姦雄も存在しなくなった」とも語っている。小選挙区制度は政権交代が起こる可能性があるというメリットもあるが、政治屋が跋扈尾するというデメリットも塩川は指摘している。財務大臣時代には、一般会計は厳しいやりくりをしているのに、目の届かない特別会計では放漫な支出をしているという意味を込めて「母屋でおかゆを食べておるのに、離れではすき焼きを食っておる」との比喩はわかりやすく世論の支持を得た。この発言は政治家・塩川正十郎の言葉として残る名言となるだろう。

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