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名言との対話(平成命日編)5

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2019年7月の記事一覧

7月29日。姫田忠義「記録は未来のためにある」

姫田 忠義(ひめだ ただよし、1928年9月10日 - 2013年7月29日)は、日本のドキュメンタリー映…

久恒 啓一
5年前
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7月28日。 佐貫亦男「本を読んで始めるのは最初のときだけである。そのあとは、自分の…

佐貫亦男(さぬきまたお、1908年(明治41年)1月1日-1997年(平成9年)6月28日 )は日本の航空…

久恒 啓一
5年前
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7月27日。伊良部秀輝「あんたらにミケランジェロや作家の心境が分かるか」

伊良部 秀輝(いらぶ ひでき、1969年5月5日 - 2011年7月27日)は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球…

久恒 啓一
5年前
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7月26日。竹島紀元「竹島学校」

竹島 紀元(たけしま としもと、1926年2月- 2015年7月26日)は日本の編集者、映画監督。 雑誌…

久恒 啓一
5年前
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7月25日。早川和男「確かに大地震である。だが、それを『大災害』にしたのは、このよ…

早川 和男(はやかわ かずお、1931年5月1日 -2018年7月25日)は、日本の建築学者。 日本住宅…

久恒 啓一
5年前
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7月24日。犬養道子「自分のいらないものを人さまにあげても、差し上げたことにはなら…

犬養 道子(いぬかい みちこ、1921年4月20日 - 2017年7月24日)は、日本の評論家で小説家であ…

久恒 啓一
5年前
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7月23日。小倉遊亀「私は自惚れまい。思い上がるまい」

小倉 遊亀(おぐら ゆき、1895年3月1日 - 2000年7月23日)は、日本画家。 奈良女子高等師範学校卒。1926年に院展に入選し、1932年に女性として初めて日本美術院の同人となった。色彩に富む人物画や静物画が特徴で、上村松園とともに日本を代表する女性画家である。1978年、文化功労者。1980年、上村松園についで女性画家として二人目の文化勲章を受章する。1990年から1996年まで日本美術院理事長を務めた。105歳で没。 『続 画室の中から』という、日記を読んだ

7月22日。 杉浦日向子「お江戸でござる」

杉浦 日向子(すぎうら ひなこ、本名:鈴木 順子(すずき じゅんこ)、1958年〈昭和33年〉11月…

久恒 啓一
5年前
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7月21日。高橋義孝「仕事をするとは、「己」を棄てて、その仕事の要求するものに「己…

高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1995年7月21日)は、日本のドイツ文学者、評…

久恒 啓一
5年前
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7月20日。有島一郎「すべてを使い果たし燃え尽くして、いつ死が訪れようと、悔いがな…

有島 一郎(ありしま いちろう、本名:大島 忠雄〈おおしま ただお〉、1916年3月1日 - 1987年7…

久恒 啓一
5年前
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7月19日。橋本忍「原作の姿形なんてまったく要らない。欲しいのは生き血だけ」

橋本 忍(はしもと しのぶ、1918年4月18日 - 2018年7月19日)は、日本の脚本家、映画監督。 …

久恒 啓一
5年前
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7月18日。 宮本顕治「人間は覚悟をきめるということが大事なんです」

宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年10月17日 - 2007年7月18日)は、日本の政治家、文芸評論家…

久恒 啓一
5年前
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7月17日。 塩田剛三「合気道の本質は、相手と自分の気を合わせ相手の攻撃を無力化す…

塩田 剛三(しおだ ごうぞう、1915年(大正4年)9月9日 - 1994年(平成6年)7月17日)は、武道…

久恒 啓一
5年前
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7月16日。成瀬映山「私は一筆耕として、字を書く側の人間ですから。生活のすべてが手習いで、一日中、字をどう書こうかという考えが頭からはなれることがありません」

成瀬 映山(なるせ えいざん、1920年3月1日 - 2007年7月16日)は、日本の書家。 20代前半は中国で転戦。帰国後28歳で東横百貨店(現在の東急百貨店)の宣伝部に入る。商品のビラなどを描く。指示していた青山杉雨先生が忙しくなり代わりに担当することになって、52歳で退職し、本格的に、心を映す画、つまり心画である「書」の世界に入る。 中国では文字が発生し、まず殷の時代に甲骨文字が案出される。それから3000年かけて材質の発達と書体の発明が続く。4世紀の初めの六朝時代